Then and Now 過去と今を見比べる

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1980年代 2023

茂原六斎市1980

千葉県茂原市茂原

茂原市役所にほど近い古くからの商店街、昌平町通りでは4のつく日と6のつくの日に六斎市が開かれます。
写真はどちらも市の開かれる日に同じ場所を撮影したもの。最近撮影した際にも通りの反対側には5店舗ほどの出店がありましたが、40年前の賑わいにはとてもかないません。新しい方の写真の左奥には新市庁舎が写っています。

1960年代 2023

花嫁のあいさつ1960

千葉県君津市市宿

小糸川中流域の宿場町、君津市市宿の街道筋の一風景。
新しくこの地区にお嫁に来たのだろう、黒留め袖の姑さんに引き連れられて、ほっかむりをした近所の皆さんに挨拶をしているようだ。
未舗装路道の両端には今は珍しくなった側溝があり、かやぶき屋根にはうっすら雪が残っている。
お嫁さんの頭部付近、道路脇に立つ木製のものは裏側になっていてわかりにくいが、後方にある丁字路を示す道路標識。

1960年代 2023

市宿の町並み1960

千葉県君津市市宿

小糸川中流域の宿場町、君津市市宿の街の中心部から、下流(君津駅)方向を撮影した写真。画面中央のバス停名は「市宿中」。白く写っている床屋さんはセットバックした為に見えにくくなったが現在も営業中。電柱の看板「峯の精」は同じく君津市内上総地区の酒蔵の商標。

1960年代 2023

バスが行く1960

千葉県君津市市宿

小糸川中流域の宿場町、君津市市宿の町はずれの一風景。
季節は秋か、おだがけのある田んぼの向こうを走る路線バスの姿。よく見るとバスの後ろにはもうもうと土埃が舞っている。当時はまだ道路が未舗装だったせいだ。
現在、道路はもちろん舗装されているが、かつて通勤通学や街への買い物の脚として活躍した路線バスは廃止され、かろうじてコミュニティバスの運行が残る。

1964 2023

水郷の鮒つり1960

千葉県香取市

横利根川の鮒(ヘラブナ)釣りの風景、時季は鮒釣り最盛期の春先であろう。
右上に写るバス停名は「中島」(茨城県稲敷市西代)。川を挟んだ千葉県側からの撮影。
昭和30年代から40年代にかけては空前の釣りブームで、千葉県と茨城県にまたがる水郷地域にも都心から多くの釣り客が押し寄せた。
この時季には毎年釣り客専用の臨時列車が運行していたほどで、この写真にも釣り客を乗せてきたと思われる都内からの観光バスが写っている。

1990 2023

海洋公民館
こじまの変貌1990

千葉県千葉市美浜区高洲

長らくこの付近の埋立地のシンボルであった「海洋公民館こじま」は1998年に解体撤去され、その場所には現在、体育館や屋外プールのある「高洲スポーツセンター」が建っている。
写真は付近のマンションから撮影したもので、1990年の撮影当時に比べて「こじま」が無くなっただけでなく、その他にも多くの建物が立て替えられた。

1990 2023

幕張新都心地区
ホテル群の建設風景1990

千葉県千葉市美浜区ひび野

幕張メッセを核とする千葉市の埋立地に創られた計画都市幕張新都心。1967年の海浜ニュータウン計画から20年あまり経ち、メッセ大通り沿いの界隈はホテルの建設ラッシュ。右手前がホテル・ザ・マンハッタン、その奥はホテル・フランクス。一番奥のツインビルはホテルでは無くオフィスビル。今では道路の反対側にもホテルが幾つも立ち並んでいる。

1933〜1944 2019

あしか島海岸、
海水浴場大プール1933〜1944

千葉県銚子市海鹿島町

銚子電鉄海鹿島駅近くの海岸の風景。名前のとおり沖の岩礁には明治時代までアシカが生息していたという記録がある。かつてあった大きなプールには飛び込み台もあり、泳ぎ疲れたら屋根のある休憩所で休むことも出来たようだ。海鹿島の海水浴場は健在のため、夏になれば海水浴客で賑わいを見せるが、この崩れた石積みを見てかつてあった大プールを想像出来る人はいないだろう。

1933〜1944 2019

農林省水産講習所小湊実験場 正門1933〜1944

千葉県鴨川市内浦

かつての農林省水産講習所小湊実験場の正門。機関としては東京水産大学海洋大学東京水産大学小湊実習場を経て、現在は千葉大学海洋バイオシステム研究センター。その歴史は1932(昭和7)年まで遡る水産試験および調査、水産専門者の養成を行なうための施設だ。レンガ積みの門自体には変化は見られないが、背後の斜面が不自然な形に変化しているのは、土砂崩れの痕跡だろうか。

1907〜1917 2023

香取神社楼門前
戦利品1907〜1917

千葉県香取市香取

香取神社楼門の前に誇らしげに据えられていたのは日露戦争の戦利品、十五珊加農(15センチキャノン)砲。これは鹿島神社に奉納されたものと同じく旅順要塞少案子山第一砲台に備え付けられていた4門のうちの1門とのこと。楼門前に鳥居があったのも今とは大きく違うところだ。

1933〜1944 2019

成田山出世稲荷1933〜1944

千葉県成田市成田

成田山境内の外れにある隠れた名所、出世稲荷。右手の売店も健在だが、以前は売り場の向きが違っていたようだ。店ではお狐様の好物の油揚げと蝋燭が売られており、お供えするとご利益があるといわれているが、絵はがきの写真の頃にも同じように売られていたのであろうか。

1900年代~1910年代 2019

外川港今昔1900~1910

千葉県銚子市外川町

絵はがきの写真は明治40(1907)年から大正6(1917)年までの外川漁港の風景。大正11(1922)年に全面改築する前の貴重な姿の記録だ。今見ると簡単な石積みにも見える突堤は、紀伊出身の漁師、崎山治郎右衛門によって万治元(1658)年に完成されたもの。今はすっかり近代的な漁港に生まれ変わっている。
丸いシルエットの島は千騎が岩だが、おなじみのアングルでは無く、真横から眺めた姿である。中央の平らな高まりは犬若の本家の台。有名な犬岩はその陰になって見ることができない。

1950年代 2023

木下小学校1950

千葉県印西市木下

利根川を背にした大地の上に建つ木下小学校。体育の授業だろうか、先生を審判に野球をしているようだ。木造の校舎が現在の鉄筋コンクリート造りに建て替えられたのは昭和50(1975)年。校舎が大きくなり、校庭の木々も育ったため、利根川はほとんど見えなくなった。利根川に架かる栄橋も千葉県側のたもとがかろうじて見えるだけとなった。

1900年代~1910年代 2020年

香取神宮参道1900~1910

千葉県香取市香取

香取神宮の長い参道の突き当たりに境内の入口を示す鳥居がある。参道の両側には土産物屋や飲食店が軒を連ねているが、以前に比べてその数は減ったようだ。古い絵はがき写真のほうには絵はがきを販売している店も見られるが、残念ながら現在は売られていない。

1978 2023

JR東京街道ガード下付近1970

千葉県千葉市中央区富士見

JR外房線・内房線の東京ガード下付近より、北東方向を撮影した写真。交差点近くのビルはテナントは様変わりしたものの現存。画面中央のニューナラヤ三越提携店と書かれたビルは立体駐車場。千葉地元の百貨店ニューナラヤが千葉三越に名称変更したのは昭和59(1984)年。平成29(2017)年にはその三越も閉店、現在は再開発のため建物も取り壊されている。

1984 2023

千葉市中央公園から千葉駅方面を望む1980

千葉県千葉市中央区中央

千葉市の中心部にある都市公園。かつては噴水を備えた池があった。現在は池の代わりにモニュメントが立っている。40年近く経ち、取り囲むビル群も建て替えが進み、当時のままのビルも少なくなった。平成11(1999)年に全通したモノレールの高架も今ではすっかり風景になじんでいる。

1981 2023

寒川大橋より千葉市街を望む1980

千葉県千葉市中央区港町

現在の国道357号が都川と交差する部分に架かる寒川大橋の東詰から川の上流を撮影した写真。東京ガスのタンクを除けば当時と同じ建物を探すのが難しいほど周辺は様変わりしている。写真の右側、都川に沿った道路はかつては国道16号であった。その側道は今では封鎖されているが、40年前には走行可能であったようだ。

1960年代 2023

奈良屋百貨店1960

千葉県千葉市中央区中央

千葉銀座通りを挟み、現在の千葉市科学館の斜向かいに建っていた奈良屋百貨店。百貨店としては昭和47(1972)年に廃業し、セントラルプラザと名付けられたファッションビルに改装後、平成13(2001)年まで営業した。現在、その敷地は高層マンションや賃貸ビル、公園用地として生まれ変わっている。

1900年代~1910年代 2023

佐原小学校第二部1900~1910

千葉県香取市佐原イ

佐原の街中を流れる小野川の右岸に建つ佐原小学校。創立は明治6(1873)年。これまでの長い歴史の中で移転があったのだろう、現在は通りを隔てた川の上流側に2棟の校舎が建てられている。古い写真の校舎の建つ場所は現在柵に囲まれた空き地になっており、何も建っていない。入口の門柱には「佐原幼稚園」と記されているので、かつてここに幼稚園があったことがわかる。

1910年代~1930年代 2023

佐原の街並み1910~1930

千葉県香取市佐原イ

小野川に架かる忠敬橋の袂から佐原の伝統的建造物保存地区の中核をなす部分の街並みを撮影した写真。屋根の鏝絵や黒漆喰で有名な正文堂や蕎麦屋の小堀屋などが立ち並ぶ。未舗装路を自転車で移動する100年前と自動車が普通に走る現代との対比が面白い。

1900年代~1910年代 2023

JR佐原駅1900~1910

千葉県香取市佐原イ

JR成田線佐原駅南口の写真。開業は明治31(1898)年、その後は平成23(2011)年の新駅舎誕生、平成27(2015)年の駅前広場の整備により駅周辺は大きく様変わりしている。

1910年代~1930年代 2023

佐原八坂神社1910~1930

千葉県香取市佐原イ

平成28(2016)年12月にユネスコ世界無形文化遺産に登録された「佐原の大祭」は、7月の本宿祇園祭と10月の新宿秋祭りを併せた総称だが、7月の本宿祇園祭は写真の八坂神社の祭礼。新しいほうの写真は祇園祭の開催されるちょうど一週間まえに撮影したもので、祭りの為のテントが既に立てられている。

1986 2023

柏駅前通り商店街1980

千葉県柏市柏

旧国道6号からJR柏駅東口へと延びる、かつては柏駅周辺で一番賑やかだった商店街の写真。古いほうの写真には柏で一番本の品揃えが良かった浅野書店がある。写真奥、駅の反対側には高島屋デパートの「高」の看板も見える。

1986 2023

柏二番街商店街1980

千葉県柏市柏

柏駅前通り商店街の通りと直角に交わり南側に伸びる道沿いの商店街。全天候型のアーケードが設置されている。昭和48(1973)年のそごうの出店により一時は人出が減ったが、近年は若者向けの店舗が多くなり「千葉の渋谷」と呼ばれるほどの賑わいを見せている。

2005 2023

京成津田沼駅前ロータリー2000

千葉県習志野市津田沼

京成津田沼駅南側のロータリーの写真。撮影日には20年近くの隔たりがあるが、視界に入るものとしてはマンションが建ったこと、バス停に屋根がついたことなど、あまり大きな変化は無い。駅ビルサンロードの中は飲食店や衣料品店、眼鏡店、靴屋などがテナントとして入り、サンロード津田沼商店街を構成している。

1986 2023

国鉄本千葉駅前下り線の踏切風景1980

千葉県千葉市中央区長洲

本千葉駅は昭和55(1980)年から高架化工事が行なわれ、昭和58(1983)年に上り線が高架化、昭和61(1986)年5月26日には上り線の工事が完了し、完全高架化した。
古い写真は完全高架化前日に撮影されたもの。踏切遮断機が下りた道路は当時は国道16号だった。千葉駅からの下り電車の右側には踏切警手の詰所が見える。
新しい写真では、ガード下は駐車場となり線路部分はそのための通路となっている。踏切警手の詰所はコンビニエンスストアに変わっている。

1986 2023

完全高架化前日の国鉄本千葉駅旧駅舎(下り側)1980

千葉県千葉市中央区長洲

本千葉駅は昭和55(1980)年から高架化工事が行なわれ、昭和58(1983)年に上り線が高架化、昭和61(1986)年5月26日には上り線の工事が完了し、完全高架化した。
古い写真は完全高架化前日に撮影されたもの。判りづらいが駅舎と高架との間には線路が敷かれており、まだ電車が走っている。写真では見えないが高架上のホームに上る階段も既にできている。
新しい写真では駅舎は高架下に移り、古本店などのテナントも営業している。手前にあるのは駅前交番。

2001 2023

青葉の森公園北口入口付近2000

千葉県千葉市中央区青葉町

中央博物館にほど近い青葉の森公園北口付近の写真。道路を挟んで左側が公園、右側は住宅地となっている。画面奥には市立の青葉病院が見える。
古い写真では病院は建設途中で、住宅地にも建設途中の家が見られる。道路等は既に整備が終わっているようで変化がない。

撮影年月日
所蔵
千葉県博物館
撮影者・提供者・コレクション
吉野章郎氏

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