ノンフロン冷蔵庫開発秘話―チャンバラしながらコラボレーション![]() 松下電器産業株式会社 松下ホームアプライアンス社 秦 聖頴
はじめに、オゾン層対応の冷蔵庫とノンフロン冷蔵庫との違い、なぜ日本で開発が遅れたのか、松下のノンフロンの取組み、グリーンピースとのかかわりなどからお話を始めたいと思います。 私のかかわりは、日本電機工業会、海外の企画会議などにも出ていた関係で、ヨーロッパの事情についてはかなり分かっていましたため、コーディネーター役を担っていました。当時の業界としては、ノンフロンはあまりにも課題が多いので避けたいという意向が強かったのです。しかし、グリーンピースの極めて強い要請がありました。そこでのNGOの果たした役割、そして、NGOはリスクを負担してくれたのか、などについて順次話しを進めたいと思っています。 1.なぜ冷蔵庫はノンフロンなのか。 1992年まで、冷蔵庫には断熱材発泡剤、冷却用冷媒にフロンを使っていました。これは、オゾン層を破壊したりして、地球温暖化に大きな影響を及ぼします。断熱材発泡剤ガスにも、冷却用冷媒ガスにもフロンを使わない、この二つに対応できるのがノンフロン冷蔵庫です。
まず、日本とヨーロッパとの食文化の違いについて説明しておきましょう。ヨーロッパは気候も涼しく、湿度が低い。これに対して、日本は高温度・高湿で、生活スタイルが基本的に違います。 ヨーロッパでは1軒に二つの冷蔵庫があります。地下室にある冷蔵庫には肉を入れておくところ。朝になると、ここからキッチンの冷蔵庫に移しておいて、夕方帰宅してから調理する。向こうはスーパーが遠いので、何日分かを買っておきます。特にポークの冷凍保存が多いようです。 これに対して、日本では頻繁にドアをあけます。食材の種類も多い。日本では、霜がついたら使いにくい。ヨーロッパタイプは電源をとめて自動霜取りをします。安全性に対する配慮も違います。日本のものは電気部品が多く、着火危険性を防ぐための対応も複雑です。 ヨーロッパの冷蔵庫は、冷凍庫の性能から星の数で3つのタイプに区分されています。スリースター、☆☆☆はマイナス18℃で、ポークの保存が3か月。☆☆はマイナス12℃で1か月。☆はマイナス6℃で、ポークの保存期間は1週間です。 課題がいくつかありますが、冷媒がイソブタンで可燃性ということも大きな問題点です。 1.PL法への対応。類焼の疑いにどう対処するか? 冷蔵庫には断熱材としてウレタンが使われていますが、これがよく燃えます。火事が起きたときには火元の判断がなされますが、一番よく燃えた所が火元と判断されやすい。ウレタンなどが燃えることで、冷蔵庫が出火場所と誤認されることもあります。これがメーカーの責任問題まで発展することもあります。裁判官には弱者救済の基本的考えがあり、お金を持っているところに責任を持たせようとする傾向が見られるからです。製品の開発も、欧米では作りながら改善していくこともあるが、日本では完全に整えてからでないと販売できません。商品サービスも、従来にも増してきびしいものになります。これに対する設備投資は、防火設備に8億、冷媒にかけたコストが1億ぐらいでした。合計で10億円にもなりました。販売価格が1万円高くなっては、お客さんは買ってくれません。ノンフロンにすることでのコストアップをどう吸収できるか、大きな課題でした。 2.インフラの整備。リサイクル、ライフサイクルでの安全性の確保。極めて多種類の法令・規格の調査と対応に苦労しました。電気安全法、高圧ガス保存法、液化石油ガス保安規則など、関連する法令などをクリアーしなければなりません。 3.お客様が買ってくれるか? 他社がもっと安いものを販売するかもしれない。万一にも事故がおきたら、メーカーは全部を引き取らなければならず、会社はつぶれる。 3.地球環境への、松下電器の取組 開発の歴史をさかのぼれば、1992年ごろからグリーンピースからの問いかけがありました。この当時は、環境情報の交流時期でもありました。93年には国際的な展示会がドイツであって、ここに当社はノンフロン冷蔵庫を出品していました。
これらの情報は、電気工業会には常に流していましたが、チャンバラはますますエスカレートし、もう逃げられない、いつまでには販売すると宣言せざるをえない状況となって、業界全体がこれに対処し始めるようになってきました。 通産省からも各社宛てに、これは松下だけの問題ではない、との通達を出してもらいました。各社の事業部長にも了解してもらい、2002年の年末までには開発すると発表することになったわけです。 インターナショナルな事務局も出来、98年にはペンギンのぬいぐるみを使ったキャンペーンも始めたので、こうした経過をご存知の方もいらっしゃると思います。 年代を追っての松下の取組みは、レジュメにも書きましたが、およそ次の通りです。
1996年、ドイツ展示会(ドウモテクニカ)にノンフロン冷蔵庫出展 1997年、省エネbPのインバーター冷蔵庫の市場導入を開始 1999年、リサイクル対応のためのプラスチック材料を統一化 2002年、冷媒にR600a、断熱材にシクロペンタン使用のノンフロン冷蔵庫を発売
環境情報の交流(これはコラボレーション)と商品化に向けての激しいキャンペーン活動があげられます。 グリーンピースとのチャンバラは大変なものでしたが、これをしてくれたお陰でノンフロンの開発が具体的に進むきっかけとなった。発売が決まった段階で、グリーンピースはどんどん売れるように協力するといってくれました。"松下さん、ありがとうキャンペーン"も実施してくれたのに感激しました。しかし、開発のリスクを、NPOや消費者の方が負担してくれるという保証はありません。
5.行政・(社)日本電気工業会・ライバル会社との協働
グリーンピースの執拗な攻勢の中で、これは松下だけの問題ではない、業界全体の課題なのだとの認識の中で、一枚岩になることが出来た。これは、松下がいじめられているからとの同情もあったと思われます。松下内部でも、各部に協力を要請しました。安全基準も従来の着火温度よりも100℃低く設定しました。東芝も販売を始めるようになって、ノンフロンが2社になりました。松下だけではここまで普及しなかったとも思われます。 規格基準類の確立にも苦労がありましたが、半年で条令改正にまでこぎつけました。この条例は、自分の首を締め付けることにもなりかねないきびしい基準です。 リスク分析⇒ 業界の自主基準⇒ 手順の作成⇒ 電気安全法の改正⇒ リサイクル対応と進みました。
6.ノンフロン開発での協働・対立の取組から
結果から見てNGOが果たした役割は、対立の構図が強い業界の結束をまとめてくれた事といえそうです。ノンフロン冷蔵庫は、ほぼ1年で全社の製品が揃いました。3月に1社が撤退して6社になりましたが、撤退した会社も含めて、みんなが一生懸命な企業努力を続けてくれました。 あのグリーンピースとのチャンバラがなかったならば、まだノンフロンは販売されなかったかもしれない。発売して、1万円の価格アップを誰が負担してくれるか? われわれは企業だから、赤字ではつぶれてしまう。コストが1万円高くても買ってくれるという誓約書が出されるか? いい環境商品は正しく理解され、それ相応な値段を評価して買って欲しい。そのためにも、企業は正しい情報を伝えていく姿勢が必要になるし、消費者もNGOもその点を理解して欲しい。
![]() (質疑応答)
|