第10章 東京湾の水質汚濁



青潮とは

 家庭や工場から排出された大量の窒素分やリン分を原因として、プランクトンが大発生し赤潮が発生します。流入する有機物と発生した赤潮のプランクトンの死骸が沈みながら分解する過程で、水中の酸素が消費され、海底近くの酸素が失われます。この無酸素の水が海の表面に浮き上がってきて青潮となります。海岸から沖合にかけて広がる乳青色の水面は一見きれいですが、生き物たちに必要な酸素がないため、致死的な影響となります。

青潮のメカニズム

 夏場(4月から9月頃まで)は、比重の関係で上層に高温で低塩分の水、下層に低温で高塩分の水が層をなします。下層の水は、酸素の補充ができないので、どんどん水に溶けた酸素の量が少なくなっていきます。
 この時期に、北東の風が吹く日があります。その風によって表層の水が岸から沖に向かって流され、その代わりに海底付近から無酸素水塊(水のかたまり)が岸近くに引き上げられてきます。
 その後9月も中旬になれば気温が表層水温より下がるので、表面の水も冷やされ、上下2層にわかれていた海水の層は解消されて循環と混合が始まります。こうなれば無酸素水塊はなくなり、青潮も発生しなくなります。
 低層の水は、栄養分をたくさん含んでいます。青潮が発生することは、栄養の豊かな低層の水が表層に供給されたことになります。この栄養分が再び赤潮の原因となっていきます。

水質汚濁現象としての青潮の出現状況

 青潮は、1985年以降2003年までの間に合計87回出現しています。4月から11月の間に確認されていますが、6月から9月の間に発生する頻度が高いようです。1年間に2回から9回ほど発生しています1)。
 漁業被害が記録されているのは、1988年8月・1989年10月・1994年8月・9月1995年9月・1997年9月であり、それ以降は被害の記録はありません1)。

青潮の対策について

 三番瀬再生計画案によれば、対策として二つのことが考えられています1)。
ひとつは、青潮の元となる貧酸素水塊が澱んでいる深みを、三番瀬起源の土砂や三番瀬周辺の土砂を用いて埋め戻すということです。市川航路についても貧酸素水塊が溜まる深みであり、今後のあり方を検討できるとよいとしています。
 もうひとつは、東京湾の汚濁負荷をこれ以上増大させないために、下水道や合併処理浄化槽の普及などにより河川水の水質を良好に保つと同時に、湾内でこれ以上の埋立てをやめ、逆に干潟、浅海域を広げていけるような取組みを東京湾全体で行うことが必要と指摘されています。

東京湾の水質汚濁の変遷

 東京湾への総窒素(T−N)と総リン(T−P)の流入負荷量は、昭和40年代半ば(1970年頃)をピークとして概ね横ばい状態となっています。また、COD(化学的酸素要求量)流入負荷量は、同じく昭和40年代半ばをピークとして大きく減少した後、横ばい状態となっています。
 水質(COD)は、昭和40年代後半にピークとなり、昭和60年代は横ばい状態となりました。底層の溶存酸素量については、平成2年より前は、年間を通じて無酸素を記録することはなかったのに対し、平成2年以降は、1年に一度は無酸素状態になっています。
 この一方で、干潟の面積は、昭和20年以前には、約9,450haありましたが、昭和30年代末には、半減しています。水深5m以浅の浅場の面積についても、昭和30年代半ばには、約28,000haありましたが、昭和40年代半ばには、半減しました。
 これと並行して、昭和30年代後半からエビ・カニ類、貝類の漁獲量は急激に減少しました 2)。

赤潮・青潮の発生の変遷

 1950年(昭和25年)から富栄養化の問題が深刻となりました。赤潮の発生回数は、1950年代には1年に5回、1960年代には1年に10回、1970年代には1年に14回となります。さらに、1980年代には1年に19回と上昇しますが、1990年から1995年には1年間に17回とやや低下します。東京湾への流入負荷は減少していますが、赤潮・青潮はピークを過ぎたものの頻発を止めていません。
 赤潮が発生する時期は、1950年代から5〜8月だけではなく、1〜3月にも発生するようになりました。1970年代には、赤潮の規模が東京湾全体に及んでいます。
 1970年代から、植物プランクトンの増殖に必要な栄養塩類は十分にあり、光や水温などの物理的環境さえ整えば、赤潮はいつでも発生する状況になったと考えられています2)。

 水質からみてみますと、東京湾は、東京圏(東京都・千葉県・神奈川県・埼玉県)の人口が2000万人を超え、5m以浅の海域が3万haを切り、埋立面積が干潟面積を追い越した昭和30年代に急激に悪化しました。沖合でもCODが1リットルあたり2ミリグラムを切ることはほとんどなくなってしまいました。それと同時に、エビやカニ、アサリの漁獲量が激減していったことがわかります。
(新保浩一郎)

引用文献

1)三番瀬再生計画検討会議(2004)三番瀬自然環境総合解析報告書 三番瀬の現状
2)東京湾の干潟等の生態系再生研究会(2003)平成14年度東京湾の干潟等の生態系再生研究会報告書


みんなで考えよう。
  • いつか、昭和30年代より前の豊饒の海を取り返す日が来るのでしょうか。
  • それとも、それはあきらめなければならないのでしょうか。
  • もし、取り返すことを望むならば、そのために必要なことはなんでしょうか。