第8章 埋め立てと漁業



 三番瀬を取り巻く浦安市・市川市・船橋市は、東京湾の埋め立てによる開発で大きく変わってきました。漁業の衰退(第一次産業)と他産業(第二次・第三次産業)の発展を通して、これら3市の変化をみてみましょう。

浦安

漁業者
(人)
漁獲量
(t)
製造品出荷額
(百万円)
市税(総額)
(百万円)
S38
1,408
42,549
550
39
S43
1,352
20,123
2,728
128
S48
266
6,355
21,761
915
S53
105
1,256
68,238
3,124
S58
72
1,023
91,325
9,011
S63
30
401
154,256
18,139
H5
17
1,632
127,797
27,077
H10
28
560
108,960
29,958

浦安市の漁業者・漁獲量・製品出荷額・市税の変貌
出展:千葉県統計年鑑

 浦安は、かつては東京内湾の奥、江戸川の河口に位置し、遠浅の海を漁場として種々の魚類に恵まれ、また、貝や海藻類の発育にも適した漁師町でした。しかし、昭和30年代に入って工場廃水や生活排水によって漁場の汚染が次第に目立つようになり、1958年(昭和33年)の工場廃液による魚介類の大量死滅事件以降、京葉工業地帯の土地造成に伴う海面埋め立てなどにより、漁場環境は悪化し、水産物は年々減少の一途をたどりました。漁民の間には埋め立てによる補償をもとに転業し、安定した生活を望む声が高まっていきました1)。
 そのような中、漁業協同組合も賛同して、1965年(昭和40年)には埋め立てが始まり、1981年(昭和56年)の埋め立て終了までに、町の面積は埋め立て前の4.43平方キロメートルから、16.98平方キロメートルへと約4倍になり、工業用地や住宅用地、レクリエーション用地となりました。
 埋立地には、東京ディズニーランドが1983年(昭和58年)に、東京ディズニーシーが2001年(平成13年)にオープンし、年間約2400万人の入場者を集めています。その他、埋立地は鉄鋼団地や住宅地になっています。
 1963年(昭和38年)に製品製造出荷額5億5,000万円、市税収入3,900万円だったものが、平成10年には製品製造出荷額1,089億6,000万円、市税収入299億5,800万円と製品製造出荷額で約200倍、市税収入は約770倍となっています。
 一方漁業は、1963年(昭和38年)に漁業者数1,408、漁獲量(魚類+貝類)42,549t、海苔8,111万枚(昭和39年)だったものが、1998年(平成10年)には漁業者数28、漁獲量560t、海苔0枚と激減してしまいました。
 なお、昭和30年代には、浦安町漁業協同組合と浦安第一漁業協同組合がありましたが、1962年(昭和37年)に漁業権を一部放棄し、1971年(昭和46年)には全面放棄し、1973年(昭和48年)に浦安町漁業協同組合が、1978年(昭和53年)に浦安第一漁業協同組合が解散してしまいました。

市川

漁業者
(人)
漁獲量
(t)
製造品出荷額
(百万円)
市税(総額)
(百万円)
S38
612
1,695
55,923
1,368
S43
655
1,230
119,875
3,185
S48
664
4,316
312,646
8,991
S53
435
3,812
428,936
21,867
S58
146
1,421
537,204
34,502
S63
140
2,285
662,745
52,936
H5
139
1,165
639,973
72,899
H10
142
845
494,406
70,564

市川の漁業者・漁獲量・製品出荷額・市税の変貌
出展:千葉県統計年鑑

 市川では、千葉県と都心を結ぶ重要な地域として交通の緩和を図る道路及びJR京葉線用地の確保、市川市における過密化・環境悪化などの都市問題解決のために、市川地区の埋め立てが1969年(昭和44年)に始まり、1975年(昭和50年)には造成工事が完了し、現在、流通業を主体として、鋼材類、金属製品などの保管、加工業などの企業が操業しています。
 また、市川塩浜地区は1982年(昭和57年)に埋め立てが始まり、1984年(昭和59年)までに、土地再開発用地と鉄道(京葉線)用地として造成が完了しました。
 1963年(昭和38年)に製品製造出荷額559億2,000万円、市税収入13億6,000万円だったものが、1998年(平成10年)には製品製造出荷額4,944億円、市税収入705億6,000万円と製品製造出荷額で約9倍、市税収入は約50倍となっています。
 一方、漁業は、1963年(昭和38年)に漁業者数612、漁獲量1,695t、海苔2,170万枚(昭和39年)だったものが、1998年(平成10年)には漁業者数142、漁獲量845t、海苔1,583万枚と減少しています。
 市川には、南行徳漁業協同組合と市川市行徳漁業協同組合がありますが、浦安地区第二期の埋め立てに伴い、1976年(昭和51年)と1977年(昭和52年)に漁業権を一部放棄しています。

船橋

漁業者
(人)
漁獲量
(t)
製造品出荷額
(百万円)
市税(総額)
(百万円)
S38
784
16,195
45,374
1,230
S43
816
13,524
130,855
3,360
S48
318
10,853
268,268
11,468
S53
176
6,067
387,650
27,911
S58
177
5,253
516,625
50,060
S63
164
14,654
649,653
72,951
H5
148
4,798
754,564
89,893
H10
118
4,070
661,578
88,720

船橋市の漁業者・漁獲量・製品出荷額・市税の変貌
出展:千葉県統計年鑑

 船橋では、港湾施設の整備拡充、東京湾の一大流通基地計画などの下、1963年(昭和38年)に埋め立てが始まり、1989年(平成元年)までに、工業用地や住宅用地、遊園地用地が造成されました。
 船橋市浜町の埋立地にある「ららぽーと(かつての船橋ヘルスセンター)」は現在年間約2200万人が来場する世界有数のショッピングセンターとなっています。また、無公害型の食品関係の企業や、木材、紙製品、鉄鋼などの二次加工、組み立て産業の都市型企業、流通関連企業などが進出しています。
 1963年(昭和38年)には製品製造出荷額456億7,000万円、市税収入12億3,000万円でしたが、1998年(平成10年)には製品製造出荷額6,615億7,000万円、市税収入887億2,000万円と製品製造出荷額で約15倍、市税収入は約70倍となっています。
 一方、漁業は、1963年(昭和38年)に漁業者数784、漁獲量16,195t、海苔5,020万枚(昭和39年)だったものが、1998年(平成10年)には漁業者数118、漁獲量4,070t、海苔2,927万枚と減少しています。船橋には、船橋市漁業協同組合がありますが、埋め立てに伴い1962年(昭和37年)、1969年(昭和44年)に漁業権の一部を放棄しました。さらに、1973年(昭和48年)には漁業権を全面放棄していますが、埋め立てが終了していないので、短期漁業権(1年毎の更新)を取得して漁業を続けています。

(内山真義)

参考文献
    千葉県、千葉県統計年鑑
    関東農政局千葉統計・情報センター、千葉農林水産統計年報
    千葉県企業庁(1987)千葉県企業庁のあゆみ


みんなで考えよう。
  • 三番瀬で漁業を続けている人たちは、どんな魚や貝を採っているのでしょうか。
  • 埋立地はどのように利用されているのでしょうか。
  • 漁業をやめた人たちは、その後、どんな職業についたのでしょうか、埋立地に進出した企業で働いているのでしょうか。