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  face
写真に自分を擬えて

‘Not me, but me in the picture’
 
   現在の絵はがきに人物が写っていることはほとんどありませんが、昭和30年代頃までの絵はがきには、風景の中に人物が写っているものが多くあります。
 旅先から絵はがきを送る際に、文面の中で、絵はがきに写った人物を自分や一緒に旅をしている仲間に擬えることがしばしばありました。
 写真も身近なものではなく、観光地で楽しむ自分の姿を写すことができなかった時代、絵はがきの中の人物に自分を擬えることが、自分がそこへ行った証でもあったのでしょう。
 
     
   Although human figures hardly ever appear on modern picture postcards, it was not uncommon that picture postcards showed people in landscapes up until the 1950s. Travellers often compared themselves or their co-travellers to the figures on the postcards and wrote about it in the messages on the cards. At a time when photography was not familiar to everyone and when it was not possible to capture a moment of fun during holidays, identifying themselves with a person shown on the postcard may have given tourists a kind of confirmation that they had been to the place.  
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同左 通信欄
▲ 同左 通信欄
絵はがきの中の漁師のよう
大正時代発行

 大正時代に銚子を訪れた男性は、絵はがきの中の漁師を自分に擬えて友人にはがきを送った。
 「僕の生涯はこの漁師のようなもので、とれるか、とれないか、知れない魚をにらみながら、一生を送ってしまうのでしょう」

(銚子名所) 犬吠岬犬吠岩
▲ (銚子名所) 犬吠岬犬吠岩
男性が宿泊した曉雞館  大正時代発行

 絵はがきの男性は、犬吠埼の曉雞館(現:ぎょうけいかん)からはがきを出している。
 曉雞館は明治7(1874)年創業の老舗旅館で、高村光太郎をはじめとした文人らが宿泊した宿としても有名。
銚子犬吠岬 海水浴旅館 曉雞館ノ全景
▲ 銚子犬吠岬 海水浴旅館 曉雞館ノ全景
銚子犬吠岬 海水浴旅館 曉雞館 客座敷ヨリ燈台ヲ望ム
▲ 銚子犬吠岬 海水浴旅館 曉雞館 客座敷ヨリ燈台ヲ望ム

ヒョットコ船頭ハ私  明治末発行
 明治42(1909)年、千葉の寒川海岸での海水浴の様子を絵はがきに擬えている。
(千葉名所) 千葉袖ケ浦ノ海水浴(其一)
▲ (千葉名所) 千葉袖ケ浦ノ海水浴(其一)
同左 通信欄
▲ 同左 通信欄
四十二年夏八月
寒川海岸ノ船遊
ノ所

板倉愛子
同 父
愛子友人之忍
(千葉名所) 千葉袖ケ浦ノ海水浴(其二)
▲ (千葉名所) 千葉袖ケ浦ノ海水浴(其二)
同左 通信欄
▲ 同左 通信欄
四十二年夏8八月寒川
海岸ニテ、板倉愛子
父ト学友ト遊泳ノ所

白地着衣シ、ちんコロノ
ヨーナ顔シテイルノガ
板倉愛子○舟ノ際ニ
イルノハ 金山令嬢
ヒョットコ船頭 私ニ候

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