第1節 高野家の略系図  第2節 高野家に遺された医療関係資料  第3節 高野家の医家としての活動範囲


[高野家について] 
  高野「敬仲」の名に注目し、調査が行われたのは昭和44年の事である。注目したのは茨城県古河市の眼科医で日本医史学会員の川島恂二氏である。きっかけは、古河藩蘭学者の鷹見泉石が弘化3年(1846)オランダ全国地図や千島列島地図を作製していたとき、目がかすむので、倅の又蔵に桐ヶ作の高野家に目薬を取りに行かせたことが、『泉石日記』に記されてあることに注目し、高野というのはどんな医者であったのか、当時、古河藩にも藩医がいたのにわざわざ桐ヶ作まで目薬を取りに使いの者をよこすのはよほどの名医であったに違いないと考え、高野家を調査したのが始まりである。
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