水郷の原風景

はじめに

水郷――この言葉は実に叙情的で、ときとして感傷的な響きさえ私たちにつたえてくるものがあります。これは、景観的な意味合いで、水辺に開かれた集落を指すというだけでなく、そこで繰り広げられた暮らしぶりをも含めた表現として、使われることが少なくないからでしょう。今回は、その水郷と呼ばれる地域の、かつての風景を物語る写真資料を主にまとめてみました。

内容的には当地(千葉県香取市新島地区周辺)の生活から環境にいたるまで多岐にわたっていますが、その多くは、抜本的な転換をはかった土地改良事業をはじめ、全国的な時流ともなった高度経済成長期など、急進的に押し寄せた"近代化"という高波にのみ込まれる以前のものが中心となっています。そして、ここではそうした景色の数々を、"原風景"と謳うことで位置づけをはかりました。もちろん、それは単なる懐古主義にとどまるものではありません。いわば、長らく生きてきた人々の心の拠りどころ、ものの考え方の原点・背景の表象ともなっているといえます。

そして、それらを読み込んでゆくことは、先人たちに対するより具体性のある理解にとどまらず、昨今よく取りざたされる世代間の空洞化への穴埋めといったことにも結びついてくるはずです。ともあれ、こうしたことを念頭におかれ、メッセージを些少でもお汲み取りいただければ幸いです。

なお、本ページは、千葉県立博物館 大利根分館発行の『写真集 水郷の原風景』をもとに再構成して作成したものです。

注意事項

  1. なお、各写真と図版に付してある番号は『写真集 水郷の原風景』と一致する。写真資料名は便宜上のものである。
  2. 本ホームページの文章は、基本的に『写真集 水郷の原風景』に準拠し、執筆は1995年に小林稔が担当した。
  3. 撮影地点の項のうち、(北佐原)とあるのは明治22年〜昭和26年まで存在した旧千葉県佐原町北佐原地区の範域を、(新島)とあるのは明治22年〜昭和30年まで存在した旧新島村の範域を示す。北佐原・新島は、ともに現在の香取市佐原地区の北部に相当する。すなわち、十六島は東西に横断する長島川・与田浦を境に、以南(北佐原)・以北(新島)で異なった行政組織体を形成していた時代があり、この呼称は現在でも慣行的に使うことがある。
  4. なお、北佐原・新島で撮影された写真については、現行の香取市佐原地区で統一し、それ以外の写真の撮影場所についても現在の市区町村名に修正している。