水郷の原風景

水辺の暮らし

網目のように張りめぐらされたエンマ。与田浦はもとより、点々とあった大小のイコ。棹さすサッパ舟見えては消えた緑の川藻。そして水際のマコモ。さまざまな変形田。遠くを見やれば、まっ平らな地平線。山もなければ林もない。これらは、どれもがシマの原風景をなしていた景色の数々である。買い物にも、自分の田へ行くことさえも農舟を利用しなければならなかったという、シマの暮らしを映し出す舞台であった。

そして、そんな低湿地のシマでは、血のにじむような水との戦いが繰り返されてきたのである。人びとは、土手を築き、川底をさらい、堀割を造るなどして、自然の猛威に立ち向かった。早場米の産地としてあったのも、秋の大水にのみ込まれないうちに収穫してしまおうとしたからである。あるいはまた、非常時を考え、対岸の高台に出作りの畑を設け、せっせと芋や麦を育てておいた。そして、田のクロには蔬菜を植えもした。しかしながら、辛酸労苦はあったにせよ、少なくも水争いなどはありえない平穏な暮らし。まずはともあれ、飲み水をたやすことはない。貴重な蛋白源となった川の魚は、すぐそこにいた。

水は人びとの暮らしを支え、多くの恩恵を与えてくれる反面、ときとして人の命さえ脅かし、大きな災いをもたらすものでもあった。いわば、水があって水に困ったというのが十六島の暮らしである。シマのほとんどの集落では水神様をお祀りするが、その神は恐ろしくもあり、尊くもありと、人びとの心を鏡のように映し出していた。

※なお、図と写真の番号は、『写真集 水郷の原風景』に準拠しています。また、各資料に付してある番号および資料名は便宜上のものです。図と写真の所蔵者は千葉県立中央博物館 大利根分館です。