第1節 地域の医家の発展  第2節 はやりやまい(天然痘)と人々の闘い
◆回春堂・永吉の眼科
千葉東壽肖像画
7 千葉東壽肖像画
永吉の眼科病院・千葉家蔵

 

 寛政6年(1794)に眼科を開業し、200年を経過した現在も医家を営み、日本眼科を代表するる存在である。現存する病院では、関東で最も古く、全国でも6番目の歴史を誇る。
  江戸時代中期以降、医学界が近代化していく中で、先進の知識を房総地域の医療において、庶民の救済に尽くした医師の代表である。
  初代の千葉東壽氏は、房総の稲作地帯において、稲穂で眼球を傷つける「突き目」が多く、こうした人々を救いたいと江戸へ出て眼科を学び、帰郷後、上総国上永吉(現、茂原市上永吉)に眼科病院「回春堂」を開いた。
  「回春堂」では、無料診療を定期的に行うなど、地域医療に大きく貢献し、患者や世間からは、「永吉(なげえし)の目医者」と親しみを持って呼ばれ、7代目保次氏の時「回春堂・永吉の眼科医院」を正式名称とした。
  また、1984年には、旧診療所を「千葉眼科記念館」とし眼科関係の諸資料を展示・保存し後世に伝える努力をされている。現在は8代目にあたる千葉彌幸氏が院長を勤められ、眼科医療に邁進しておられる。