第1節 地域の医家の発展  第2節 はやりやまい(天然痘)と人々の闘い


8 眼球キンストレーキ(分解可能の解剖模型)
  永吉の眼科病院・千葉家蔵

明治33年の第4回日本眼科学会総会の際に5代目にあたる千葉天夢氏が東京本郷で金拾八円で購入したもの。眼球は分解することができ、角膜が欠落しているが、眼筋や血管の走行などきわめて精巧である。この模型は右目であるが、天地が逆に置かれるようになっている。


教材用銅人形 永吉の眼科病院・千葉家蔵
体表に血や気を運ぶとする経絡とその
上にあるツボが示されている。
●古河藩医 河口信任
  実証的医学勃興の時代の到来に位置づけれらる地域の代表としてあげられるのが、古河藩医 河口信任の功績である。信任の曾祖父である河口良庵は、「カスパル流外科」を学んで一家をなした医人であり、杉田玄白の『解体新書』刊行の125年前の慶安2年(1649)にすでに蘭学を学んでいた。すでに蘭学をこうした実証的精神が代々河口家に受け継がれ、その孫にあたる河口信任の『解屍編』刊行に結びつくことになったと考えられる。このような優れた医家が利根川中流域に存在していたことは、古河藩蘭学者鷹見泉石との関係で見るように高野家に計り知れない影響を及ぼしていたと考えられる。