第4回 旧関宿藩士人名録

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 慶応3年(1867)の大政奉還、王政復古の大号令を経て天皇を中心とする新政府が樹立した。翌明治元年、旧幕府側は新政府に反発して京都南郊で薩摩・長州軍と交戦した(鳥羽・伏見の戦い)。
  当時の関宿藩は勤王派と佐幕派とに分裂し(いわゆる久世紛争)、両派は激しく対立した。特に家老木村正右衛門や丹羽十郎右衛門らを中心とする佐幕派約200名は関宿を脱走し、江戸にいた幼少の藩主久世広之を上野山の勧善院に匿った。
  脱藩者の一部は、久世氏の一族奥原秀之助を隊長とする「万字隊」を組織した。かれらは旧幕臣で結成された彰儀隊とともに上野で新政府軍と戦ったが敗北し、丹羽・奥原らは戦死した。
  その後、万字隊の一部は会津藩に走ったが、若松城の開城後捕らえられた。
  今回紹介する「旧関宿藩士人名録」は、幕末の藩士塚本新之進勝邪(かつもと)が明治初期の藩士542名の動向を記録したもので、孫の一男氏(東京在住)より当館に寄託された。
  イロハ順に氏名が並び、禄高や役職名とともに○などの記号が付され、一人ひとりの動向が詳しくわかるようになっている。巻末の累計にによると、
    関宿脱走  95名
    上野山入  60名
    深川邸死   5名
    牢入      5名
    東京在住  88名
    関宿在住 283名
となっている。
  本資料は、幕末の関宿藩の内紛やそれに伴う藩士の動向を明らかにするばかりでなく、当時の関宿藩の職制や権力構造を解明する上でも貴重なものと言える。

(学芸課 島田 洋)


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