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註 | |
(1) | 関宿城は長禄元年に簗田成助が築いたとされるが(奥原謹爾『関宿志』1973年、関宿町教育委員会)、『鎌倉大草紙』の康正元年の記事に「関宿の城に簗田を籠」とあり、この時点ですでに関宿城が存在若しくは築城されていたことが窺える。今後検討を要する。 |
(2) | 佐藤博信「後北条氏と古河公方足利氏の関係をめぐって」(『史学雑誌』87-2、1978年)、同「古河公方家臣簗田氏の研究」(『千葉大学人文研究』10、1981年)ーともに後に『古河公方足利氏の研究』(1989年、校倉書房)に所収、以下前者を佐藤論文1,後者を佐藤論文2とするー、長塚孝「戦国期の簗田氏について」(『駒沢史学』31、1984年)、鍛代敏雄「古河公方家臣下総相馬氏に関する一考察」(『栃木史学』創刊号、1987年)など。 |
(3) | 佐藤論文1は婚姻成立の契機を前年(天文7年)の「国府台合戦」(古河公方と小弓公方の対立)に求め、晴氏が公方家存亡の危機を回避するするのに後北条氏の力を利用する以外に方法を持たなかったために、婚姻が実現したとしている。また、この婚姻の歴史的意義は後北条氏の公儀性を公方家との関係の中に位置づけることによる充全化、及び下野・常陸など伝統的豪族層に対する公方の対外的機能の利用にあるとしている。 |
(4) | 『古河市史』資料中世編777号文書、以下『古』777の如く表記する。 |
(5) | 『古』784。この時期、簗田氏に限らず他の家臣に対しても所領安堵や新恩給与を実施しており、この家督相続により家臣団内部に動揺があったことがわかる。 |
(6) | 『古』791。 |
(7) | 『古』779。 |
(8) | 佐藤博信「古河公方足利晴氏についての覚書ー特に御座所変遷をめぐってー」(『金沢文庫研究』280、1988年)、以下佐藤論文3とする。 |
(9) | その後晴氏は相模波多野にに幽閉され、関宿で隠居後の永禄3年5月に死去した。『喜連川判鑑』に「晴氏於関宿逝去」とあるが、冨田勝治は「足利晴氏死没地考ー晴氏は上総国嶋之で没したかー」(『埼玉地方史』17、1984年)で「鑁阿寺文書」(『古』991)に「嶋之上様」とあることから晴氏の死没地を御料所上総国市原郡嶋之郷に比定した。これに対し市村高男は『鷲宮町史』(1986年)で冨田説を否定し、古河公方関係の系図・記録類の記載内容や、関宿が常陸川や低湿地に囲まれ「嶋」と呼ぶにふさわしいことから関宿で死没したとしている。また佐藤博信も「『嶋之上様』のこと」(『戦国史研究』11、1986年)で冨田説を否定し、後年義氏の遺女氏姫が御座した栗橋嶋(茨城県五霞町)としている。なお、宗英寺(関宿町)に晴氏の墓がある。これについて佐藤論文3では石塔の形態や銘文の字配りなどから晴氏の墓であることに疑問を呈している。 |
(10) | 『鷲宮町史』史料中世三297号文書、以下『鷲』297の如く表記する。 |
(11) | 『古』921、922、923。 |
(12) | 『古』931。 |
(13) | 佐藤論文3 |
(14) | 佐藤論文2「公方義氏成立にともなう『殿中』における芳春院殿・芳春院周興を中心とした奏者体制の整備であった」「従来の簗田氏を筆頭とする『宿老中』による奏者体制を否定する中で成立した」。 |
(15) | 『鷲』324。 |
(16) | 長塚前掲論文。 |
(17) | 『古』967。 |
(18) | 『古』970。 |
(19) | 『古』977。 |
(20) | (18)に同じ。 |
(21) | 『古』974。 |
(22) | 『古』973。 |
(23) | (19)に同じ。 |
(24) | 千葉県立関宿城博物館では簗田氏の子孫より40点余の受託・保管しており、その多くが『古河市史』などに掲載されている古河公方や後北条氏発給文書の原本である。現在分類・整理中であるが、今後機会を得てその成果を公表する。 |
(25) | 後北条氏の人返し規定については、中村吉治『近世初期農政史研究』(1938年、岩波書店)、中丸和伯「後北条氏と虎の印判状」(『中世の社会と経済』1962年、東京大学出版会)、藤木久志「大名領国の経済構造」(『戦国社会史論』1974年、東京大学出版会)、同「戦国法の成立と構造」(同)など。 |
(26) | 『戦国遺文』後北条氏編(1990年、東京堂出版)974号文書。 |
(27) | 同1477号文書。 |
(しまだ ひろし:千葉県立関宿城博物館研究員)