特 別 展

平成9年8月12日から9月23日まで開催されました。

忘れまい大洪水
カスリーン台風回顧展

1 昭和22年カスリーン台風の爪跡  2 利根川流域の洪水史  
3 水とのたたかい
  4 これからの川と私たち  

展示資料一覧  展示協力者

昭和22年カスリーン台風の爪跡
 昭和22年9月8日午前3時、マリアナ海域に発生した台風は当初勢力の弱いものでした。台風はまもなく発達して北西ないし北に進路を取りましたが、この時点でまだ関東地方に大きな被害をもたらすとの予測はなされていませんでした。しかし、この時期の台風の特徴ともいえる停滞した秋雨前線への刺激が各地に大雨を降らせたのです。利根川上流部の赤城山麓での崖崩れ、鉄砲水などの被害が重なるにつれ、さらに降り止まぬ大雨は人々の心に緊張を加えていきますが、それでも明治43年の大洪水を経験してる人々にとっては、まさか再び自分の家の庭先に、あの大水が押し寄せてくるとは思ってもいませんでした。
  それは、記録的な大雨が去った後のできごとでした。15日夜半、埼玉県北埼玉郡東村(現大利根町)での堤防決壊をきっかけに濁流は鷲宮、久喜、杉戸、粕壁(春日部)、栗橋、幸手、庄和、松伏、彦成(越谷・八潮・三郷)という現在の庄内古川及び中川流域に位置する埼玉県東部の市街を襲った後、19日未明都県境にある桜堤を決壊させ、濁流は葛飾区からついに首都東京へ押し寄せたのです。
  流失家屋数23,736戸、半壊家屋数7,645戸、被害を受けた耕地面積176,789ha、経済的損失は約70億円(当時)と推定されます。そして全体では1,057名という尊い生命が犠牲となりました。

決壊現場
(利根川上流工事事務所)
利根川流域の洪水史
 江戸時代初期、幕府は江戸湾(東京湾)に注いでいた利根川の本流を、流路の締め切りや開削を繰り返しながら銚子河口へ流す大工事、いわゆる利根川東遷事業を実施するとともに、関宿から分流させる江戸川の開削も行われました。以後も洪水対策を主体とした改修工事が行われ、その過程で築堤や護岸水制など様々な改修技術が創案されました。
  しかし、自然の猛威は人知をも上まわり、数多くの洪水が人々を恐怖と苦難におとしめました。

〔寛保2年(1742)の洪水〕
  江戸時代最大の洪水と言われ、利根川上流部の舞木・赤岩・北河原及び新川通が破堤し、関宿城も大破しました。荒川でも各所で破堤したため、埼玉平野で甚大な被害が発生し、江戸市中も浸水しました。

〔天明6年(1786)の洪水〕
  天明3年(1783)7月の浅間山大噴火によって降灰や火砕流、溶岩流が発生し、数多くの人命や家屋、馬などの家畜を失い、その後の天明の飢饉の要因にもなりました。
  この噴火で大量の火山灰が吾妻川から利根川へ流れ込み、利根川上流部を中心に河床が急激に上昇しました。このことが3年後の洪水の被害を拡大させることとなり、いたるところで破堤しました。特に権現堂堤の決壊により江戸市中も浸水し、永代橋や両国橋が流失しました。

〔安政の大洪水〕
  安政年間は江戸幕府が鎖国から開国へと政策を転換させましたが、他方洪水や地震、コレラの流行など数多くの災害が発生しました。
  なかでも安政3年(1858)の洪水では利根川や渡良瀬川の各所で破堤し、数多くの人命が犠牲になりました。

〔明治23年の洪水〕
  この年の8月上旬から雨が続き、22日には暴風となりました。このため利根川は「9合水」「10合水」に達し、千カ所余りで堤防が決壊破損し、関宿では約30戸の家屋が流失するなど、流域各地で大きな被害をもたらしました。

〔明治43年の洪水〕
  明治・大正期を通じて特にこの年の洪水は最も大きな被害をもたらしました。8月上旬に発生した台風で、利根川本流のいたるところで破堤し、東京下町にいたる平野部一体が浸水しました。死者・行方不明947名、家屋破損・流失4,917戸、被害総額は4,167万9千円(当時の国家予算の7.3パーセントに相当)に及びました。

安政風聞集(当館)





出水ニ関スル書類
(埼玉県立文書館)
水とのたたかい
 洪水対策として、江戸時代初期の利根川東遷事業をはじめとする様々な大規模河川改修が国家レベルの事業として実施されてきました。しかしその一方で流域に住む人々は、洪水の脅威にさらされる中で生命や財産を守り、被害を最小限にくい止めるための知恵を個人レベル、あるいは地域レベルの中で生み出しました。

鵜森伏越樋工事絵図屏風
(大垣市輪中館)
これからの川と私たち
 人々は古来から川や水から多大な恩恵を受けてきました。人間の歴史は川から始まったといっても言い過ぎではありません。しかしその反面、ひとたび大雨に見舞われると川はその姿を豹変し、氾濫により多くの人々を苦しめてきました。これらの経験をもとに国土交通省などでは洪水予防の治水対策及び貴重な水資源を確保するための利水対策を現在も行っています。
  また近年では、単に川を氾濫させないという治水対策から考え方を変換し、流域全体の町づくりとともに洪水対策を行う総合的治水対策の推進に力が入れられています。人々に潤いと安らぎを与えてくれる河川は私たちの貴重な財産であり、自然と人間が共存できることを目的とした整備が進められています。

矢口地区スーパー堤防

展示資料一覧

○カスリーン台風の爪跡
東京都水害誌(当館) カスリーン台風映像(葛飾区郷土と天文の博物館、北川辺町役場) 昭和22年9月読売新聞(三郷市立資料館) ガンドウ(大利根町教育委員会) 食器類(個人) 日記・スケッチ(個人) 被災証明書(個人) 森戸村長見舞い品送り状(境町歴史民俗資料館) 配給品(埼玉県平和資料館 台東区立下町風俗資料館) 米軍救助作業に関する公文書類(外務省外交史料館) 水害配給品割当計画(八潮市立資料館) 大釜・おひつ類(八潮市立資料館)
○利根川の洪水史
浅間石(渋川市役所) 明治43年洪水絵葉書(当館) 信州浅間山焼亡之麁絵図(埼玉県立文書館) 寛保洪水記録(群馬県立文書館) 浅間山焼昇之記(浅間火山博物館) 天明3年浅間山大噴火絵図(浅間火山博物館) 浅間山騒動之図(埼玉県立文書館) 出水ニ関スル書類(埼玉県立文書館) 明治43年水害誌(埼玉県立文書館) 国民新聞(東大近代日本法政史料センター) 安政風聞集(当館)
○水とのたたかい
長島町航空写真(長島町輪中の郷) 宝暦年間輪中絵図(長島町輪中の郷) 江戸川縁領領地図(野田市立興風図書館) 中井堀用水番日割表(八潮市立資料館) 鵜森伏越樋工事絵図屏風(大垣市輪中館)
○これからの川と私たち
ランドサット5号からの衛星写真(千葉県立中央博物館) スーパー堤防模型(国土交通省江戸川工事事務所) パネル類(国土交通省利根川上流工事事務所、河川環境管理財団) 

展示協力者

(敬称略)

浅間火山博物館 大垣市教育委員会 大垣市輪中館 大利根町教育委員会町史編さん室 外務省外交史料館 河川環境管理財団 葛飾区郷土と天文の博物館 北川辺町役場 共同通信社 群馬県立文書館 建設省江戸川工事事務所 国土交通省利根川下流工事事務所 国土交通省利根川上流工事事務所 埼玉県平和資料館 埼玉県立文書館 境町歴史民俗資料館 幸手市史編さん室 杉戸町役場 草加市史編さん室 台東区立下町風俗資料館 千葉県立現代産業科学館 千葉県立中央博物館 東京大学近代日本法政史料センター 東京都政策報道室 長島町輪中の郷 流山市立博物館 野田市立興風図書館 三郷市教育委員会 三郷市立資料館 八潮市立資料館 読売新聞

大鹿孝一郎 大橋確司 沖生一 折原みち子 久保勝之 倉井登茂子 楜沢征二 小島道也 鈴木政義 高野進 高橋孝夫 野中彦平 平野元義 美斉津洋夫 矢島正男 横田実


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