久世広之(くぜひろゆき)の幕政参加
関宿藩12代藩主久世広之(1609〜1679)は、4代将軍徳川家綱の保育にあたり、寛文2年(1662)に若年寄に就任しました。翌年には老中に登りつめ、大老酒井忠清のもとで着実に職務を遂行しました。
3代将軍徳川家光までは、幕府の力を強固なものとするため、「武断政治」とよばれる強圧的な政治が行われました。しかし家綱の代になって幕府の支配が確立し、社会も安定してきたので「文治政治」へと転換が図られました。広之は老中として、法令や制度を整えて社会秩序を保つなど、文治政治の実現に努力しました。
なお広之が仙台藩お家騒動の解決に奔走したことは、山本周五郎著『樅ノ木は残った』で有名です。
大国魂神社宛て久世広之寄進状
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