デジタルミュージアム・特集『日本博覧図』

初編-20 集成学校しゅうせいがっこう

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旧町村名現市町村名絵師彫師寸法
印旛郡佐倉町佐倉市弥勒町真ノ舎幾英横29×縦19.1cm
寛政4年、佐倉藩主堀田正順が佐倉宮小路に設けた温古堂が始まり。天保7年、正睦が新たに成徳書院を造営。明治2年、儒学の成徳館と洋学の博文堂(最初開智館)に分かれ、明治4年に両校を合併して鹿山精舎とした。いったん閉鎖され、21年に佐倉英学校と併せ佐倉集成学校となる。当時の生徒数は60。ロの字形の校舎の中庭には畑が見え、校舎の裏では、兵式体操が行われている。文庫は、佐倉藩時代からのもの。県立佐倉高校の前身。

2005年1月 歴史学研究科