第1節 鷹見泉石  第2節 赤松宗旦  第3節 鈴木南嶺・大西椿年

〈口語訳〉
 関宿のあたりは、大変じめじめしていて、そのために水害が多い。嘉永年間(1848〜1854)の初めに、領主が命じて城の東の桐ヶ作、木間ヶ瀬、舟形、木ノ崎などの村村の間に六里(約24q)の水道を作った。この水道を活用して利根川に水を落としたので、長い間、水による害がなかった。そのため、人々はたいへん恩恵をこうむった。
  この桐ヶ作に、眼科医で鳳梧と名乗る人がいた。この人は大変絵を好んだ。

  つけたげそろ、このむぎは、ぬかゞこづけてまひあがる

〔ちょうど、麦の成長と豊かな実りを祝い、麦を播く季節になった。だから、麦にまといついている ぬか が祝福に応ずるように勢いよく舞い上がることだ、と祝っているのである。〕
  これは“ツケタゲ”といって、古い相歌と呼ばれているものなのだと鳳梧は、このあたりのことをしきりに語るついでいうのだった。
(『口訳 利根川図志』より引用)