第1節 鷹見泉石  第2節 赤松宗旦  第3節 鈴木南嶺・大西椿年

第2節 赤松宗旦(医師)
年 号
西暦年
主な出来事  赤松家に宗旦と称した人物は3人ある。初代宗旦の名は、恵といい、2代目の名は義知といって、『利根川図志』の著者である。3代目宗旦は、義知の養子で、宗伯といった。
  利根川流域にまつわる歴史・伝説・地理・物産等を調査し、記録に留めようと考えたのは、初代宗旦である。彼は、1757年(宝暦7年)遠州(愛知県)中村に生まれ、江戸へ出て、医術を学び下総布川(茨城県)に居住し、この地で、定次郎をもうけた。まもなく江戸千住に移り、1813年(文化10年)に57歳でこの世を去っている。
宝暦7
1757
・初代宗旦恵、遠州(愛知県)城東郡中村に生まれる
天明元
1781
・父と共に江戸に住む・天野道順に医術を学ぶ(11歳)
文化3
1806
・下総国相馬郡布川村で、宗旦義知生まれ、定次郎と名付ける
文化7
1810
・一家、江戸千住に住む
文化11
1813
・初代宗旦恵・死去(享年57歳)・宗旦義知、母親の生家下総国印旛郡吉高村に転居