真岡(もおか)もめん


うちわ絵

木綿問屋うちわ絵(真岡市、岡部記念館金鈴荘蔵)


  近世に入って商品作物の栽培が広まり、各地で木綿の栽培が行われるようになりました。利根川支流鬼怒川沿いの下野国真岡(もおか)(栃木県真岡市)では古くから木綿産業が盛んで、利根川水運の発達により販路が次第に拡大されました。真岡木綿は「真岡晒し(もおかさらし)」の名で知られましたが、その肌触りが特に江戸の人々に好まれ、「真岡」は木綿の代名詞にもなりました。事実、白子組(江戸木綿問屋の組合)13軒の関東木綿総仕入れ高の80パーセント近くを真岡木綿が占め、江戸市場への流入量が他の木綿に比してその割合が格段に高かったのです。
  真岡木綿の江戸輸送に大きな役割を果たしたのが塚田兵右衛門です。代々木綿買次業を営み、江戸の白木屋などと取り引きをしていました。文政4年(1821)、塚田家は境河岸問屋小松原家と姻戚関係を結びました。以後塚田家の江戸向け木綿輸送は小松原家が一手に扱ったと言われています。

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