目指す姿/館長挨拶

美術館は、未来をつくるためにあります。

もちろんささやかな存在なので、美術館だけでは何もできないでしょう。しかし、みなさまが力をあわせてよりよい未来をつくっていくためのお手伝いとして、考える材料を少しはご用意できるのではないかと思っています。

未来を考えるためには、なにが必要でしょうか。まず、わたしたちが何なのか、これまで何を生み出してきたかを知ることが大切です。そして、わたしたちをとりまく世界、その世界とわたしたちがどんな係わりをもってきたか、を見つめることも大事でしょう。わたしたち自身と、わたしたちの環境をつかむことが必要です。図書館や、劇場も、学校も、もしかしたら似たような役割をもっているかも知れません。

そのために、アートと美術館が存在します。アートはヒトだけがもつ力です。700万年の歴史をもつヒトは、自分が大切だと思う心をかたちにあらわしてきました。あらわされたモノを大切に思う心もまた、それだけで一つのアートといえるでしょう。

でも、アートは時代とともに大きく広がり、その時代のヒトの体験や考え方に合わせて、さまざまな姿をとるようになりました。絵や彫刻だけではなく、映像をつかったもの、パフォーマンス、あるいは社会とのつながりそのものをテーマにした作品など、アートは新しい表現と方法をもとめて、多様なかたちをとるようになっています。

令和62024)年に開館50周年を迎えた千葉県立美術館は、その新しいミッションを、「アートを問う」としました。アートとは何かを問うことが、そのままわたしたち自身への問いにつながります。わたしたちの過去と現在を知り、そして未来をさぐることに、わたしたちは少しでも貢献することを願っています。

これまで当館を支えていただいた方々に、あつくお礼申し上げます。そしてこれからもご支援を続けていただきたいと希望しています。そのご支援のなかの最大のものは、この美術館を楽しんでいただくことでしょう。その楽しみ方を少しでも豊かにしていくように、わたしたちは心がけていきたいと考えています。

千葉県立美術館
館長 貝塚 健


千葉県立美術館活性化基本構想について

県立美術館が美術館を取り巻く様々な動向、社会経済状況の変化に適応しながら、県民に寄り添った魅力ある美術館として生まれ変わるため、今後の運営指針を策定しました。(令和6年3月29日発表)

(理念)アートを問う
私たちはアートとは何かを、ともに問い続けます

人間とともにアートが生まれました。アートとは何かを問うことは、人間とは何かを問うことと同じ。だから、人間活動や社会の変容とともにアートも変わります。変化と多様性の時代に、この最終的な答えのない問いを、みなさんと続けていきます

(目指す姿)
人々が行き交い対話する場となり、千葉から未来へ新たな文化をつむぎます

アートをめぐって人々が行き交う“美術館空間”に、最新のアートや研究成果を発信します。千葉ならではの特色を活かしたアートを育み、すべての人々とともに新たな世界観を創造し続けることを目指します


4つの活動方針

 

1.

新たな出会いと
発見の場に

大切に受けつかれてきたアートと多様なアートを様々な手法で紹介することで、千葉発のアートシーンを創出し、新しい価値観の気づきの場になります

2.

県内のアートプロジェクトの
拠点として

豊かな自然環境と、首都圏にあり海と空の港を持ち、多様な人々が交差する本県の立地を活かし、県内のアートプロジェクトの拠点として、千葉文化を豊かにするとともに、社会の活力向上に寄与します

3.

次世代の完成を
育成する場として

大切に受けつかれてきたアートと多様なアートを様々な手法で紹介することで、千葉発のアートシーンを創出し、新しい価値観の気づきの場になります

4.

サスティナブルな
美術館に

アートの視点から向き合いながら、あらゆる人々の拠りどころになるとともに、日々変化し多様化する社会において、未来につながる持続可能な美術館を目指し、ウェルビーイングに寄与します


建築について

設計について
 千葉県立美術館は、1960年代に展開されたメタボリズム建築運動の建築家の一人である大髙正人の設計により竣工しました。この時期に大髙が取り組んだ「傾斜屋根」(日本の伝統的な屋根の現代の技術による追求)の系譜に連なり、大きな傾斜屋根による第7展示室を中心に各展示室が広がります。せっ器質タイルによる外壁、天然スレートによる屋根(当時)を特徴とするほか、段差のないバリアフリーの展示室とすることで、人々の生活に密着し親しく利用される美術館を目指して設計されました。
 展示棟が最初に竣工した後、県民アトリエ棟、第8展示室や収蔵庫などが増築され、まさにメタボリズム(「新陳代謝」)の理念を体現する貴重な建築です。

建築家について
大髙正人 Masato Ohtaka
 大正12(1923)年、福島県三春町生まれ。昭和19年東京帝国大学第二工学部(西千葉)に入学。昭和22年同大学卒業、同大学大学院に進学した後、昭和24年に20世紀を代表する建築家のル・コルビュジエの直弟子で、日本の建築界を牽引した前川國男の建築設計事務所に入所します。
 昭和35年世界デザイン会議が開催された際、川添登、黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦、榮久庵賢司、粟津潔とともにメタボリズム・グループを結成し、槇文彦とともに群造形の理論による新宿副都心計画を発表しました。昭和36年、設計チーフをつとめた東京文化会館が竣工したのち、昭和37年に独立して大高建築設計事務所を設立。昭和40年から千葉文化の森の計画に携わり、千葉県文化会館および聖賢堂(昭和42年)、千葉県立中央図書館(昭和43年)など、千葉の文化施設の設計に携わりました。

施設概要


設計

大高建築設計事務所

施行

株式会社竹中工務店

敷地面積

33,05787.87㎡

建築面積

8,777.94

延床面積

10,663.57㎡

 


魅力ある屋外彫刻エリア

魅力ある屋外彫刻エリア


開館50周年記念ページ

開館50周年記念ページ