「日本の地衣類(ウェブ図鑑)」のサブコンテンツ
 
長崎県の地衣類
長崎県はどんなところ

 九州北西部に位置する長崎県(右の地図の赤線より左)は,対馬・壱岐島・平戸島・五島列島・男女群島をはじめとする数多くの島々があります.九州本土の県域は西彼杵半島や島原半島に加えて,佐世保市や大村市の位置する地域も佐賀県域と合わせると半島地形からなっており,島と半島の県と言えるでしょう.(上のバナー写真は,九十九島)

 九州本土の県域の緯度は32.5度から33.3度ほどで,千葉市の35.6度に比べると随分と南に位置し,温暖であることが想像されることと思います.暖温帯に位置しますが,植物では亜熱帯的な要素も見られるようです.

 最も標高が高いのは,島原半島の雲仙岳の1483mですが,活火山のため山頂付近の植生は火山活動により破壊されています.次いで島原半島の付け根付近の多良岳の1076mで,かろうじて冷温帯に入っています.また九州本土では500から700m台の山が点在した山がちな地形が広がっておりますが,これは島でも同様の状況です.

 

右の地図は,地理院地図(電子国土Web)の標準地図に県境等を追記して作図

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対馬 野崎島 雲仙岳
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長崎市の周囲の丘陵の露頭

地衣類に覆われている

ツツジに

ウメノキゴケが着生している

鳥居

ウメノキゴケなどで覆われている

長崎県における地衣類調査

 長崎県の地衣類に関する最初の記録はかなり古く,Nylander(ニュランダー)が1890年に発表した「Lichenes Japoniae」(リケネス ヤポニアエ.「日本の地衣類」の意)(文献1)によるものでした.それは,スウェーデンの探検船 Vega(ヴェガ)号が来日した際,乗船していたAlmquist(アルンキスト)が採集した標本を,Nylander が研究した成果でした.この中で,長崎と高島で1879年に採集した標本が含まれていたのです.

 日本では1920年代からは朝比奈泰彦をはじめとする日本人研究者による地衣類の論文が発表されるようになり,少しずつ長崎県産の標本も用いられていきました.なかでも長崎県の地衣類に関するある程度まとまった情報は,1950年代から1970年代前半にかけて大内 準(文献2~11)による「九州の地衣植物」という題名の一連の論文によってもたらされました.また,モジゴケ科については中西 稔によるモノグラフ(文献12)で,トリハダゴケ属は生塩の論文(文献13~14)の中で本県の標本が引用されました.さらに,安藤他による環境アセスメントの報告書(文献15)で多くの種が挙げられました.

 このような文献上の記録をとりまとめた「長崎県産の地衣類チェックリスト」(文献16)によると2008年の時点で,長崎県からは221種の報告があったことになります.この種数は,暖温帯しかない千葉県の約300種(原田・坂田 2016,原田他 2017,等)に比べるとはるかに少なく,調査が十分ではないことを物語っています.しかも,それらの記録の多くが50年以上を経過しているため,現在の状況というには古すぎます.

 そこで,長崎に住む田中慶太は,当館の原田浩と相談の上,千葉県立中央博物館の市民研究員として「長崎県の地衣類相」のテーマの下,長崎県内の地衣類を調べていくことにしました.その成果は,論文として発表するとともに,本コンテンツにも活用されております.

 また,これとは別に原田は,海岸生地衣類の調査で,何度か長崎県を訪れ,調査を実施しています.その成果の一部は,関連コンテンツ「海岸生地衣類」に反映していますが,画像を転用するなどして本コンテンツの充実を図っていきます.

【文献1~16】●リストはこちらから
●本コンテンツ「長崎県の地衣類」と著作権について