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勢力(せいりょく)をのばした豪族(ごうぞく)たち/香取(かとり)の武将(ぶしょう)と中世(ちゅうせい)の文化(ぶんか)

― 古墳(こふん)のはなし

古墳の写真●じょしゅ 古墳(こふん)ってむかしのお墓(はか)のことなんですね!

●はかせ そのとおり。古墳(こふん)は、今(いま)から1300〜1700年(ねん)もむかし、各地(かくち)に豪族(ごうぞく)(勢(いきお)いのあった人(ひと))のために作られたお墓(はか)だよ。図(ず)のようにいろいろな形(かたち)があるんだ。その中(なか)には、豪族(ごうぞく)がだいじにしていたものがいっしょにうめられたよ。まわりには人(ひと)、動物(どうぶつ)、家(いえ)などの形(かたち)をした「はにわ」をならべたものもあったんだ。また、ほりもあったよ。

いろいろなはにわ
― 千葉氏(ちばし)のはなし

千葉氏の紋(月星紋)●じょしゅ はかせ!しつもんです!「千葉(ちば)」という地名(ちめい)の由来(ゆらい)にもなった千葉氏(ちばし)についておしえてください。

●はかせ 千葉氏(ちばし)は、平氏(へいし)の一族(いちぞく)で、常将(つねまさ)という人(ひと)のとき、「千葉(ちば)」と名(な)のっていたんだ。今(いま)の千葉市亥鼻(ちばしいのはな)(千葉市郷土館(ちばしきょうどかん)があるところ)に城(しろ)をきずいて、下総国(しもうさのくに)(千葉県北部一帯(ちばけんほくぶいったい)と茨城県南部(いばらぎけんなんぶ)の一部(いちぶ))を治(おさ)めていたよ。

 五代目(ごだいめ)の常胤(つねたね)は、鎌倉幕府(かまくらばくふ)をひらいた将軍(しょうぐん)、源頼朝(みなもとのよりとも)の家来(けらい)となってよく働(はたら)いた人(ひと)だけれど、6人(にん)の子(こ)どもたちに領地(りょうち)をわけて与(あた)えたんだね。
 このうち、大栄町周辺(たいえいまちしゅうへん)は4男胤信(なんたねのぶ)(大須賀氏(おおすがし))に、香取市周辺(かとりししゅうへん)は5男胤通(なんたねみち)(国分氏(こくぶし))に、そして小見川町(おみがわまち)・東庄町周辺(とうのしょうまちしゅうへん)は6男胤頼(なんたねより)(東氏(とうし))に与(あた)えたんだ。それぞれ城(しろ)やとりでをつくって、領地(りょうち)を守(まも)りながら戦国時代(せんごくじだい)(およそ400年前(ねんまえ))まで治(おさ)めていたよ。
 千葉一族(ちばいちぞく)は妙見菩薩(みょうけんぼさつ)という仏様(ほとけさま)を深(ふか)く信(しん)じていたんだ。

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