令和5年度秋の展示 手のひらのメディアー吉澤貞一マッチラベルコレクションー

令和5年度秋の展示 
手のひらのメディア
-吉澤貞一マッチラベルコレクション-

会 期 令和5年10月3日(火)~12月24日(日)
会 場 千葉県立中央博物館 第1企画展示室、第2企画展示室
休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)
入場料 一般300円 高校生・大学生150円
 ※次の方は無料:中学生以下・65歳以上の方(年齢を示すものをご提示ください)・障害者手帳をお持ちの方(手帳もしくは手帳アプリをご提示ください)及び介護者1名

 

本展示は、文部省科学研究費補助金 基盤研究費B「自然に関する文化的資産の保全・劣化要因の把握と教育・観光資源化にむけた検討(研究代表者:柴崎茂光)」の成果の一つです。

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 当館に所蔵されている世界屈指のマッチラベルコレクション「吉澤貞一マッチラベルコレクション」を初公開します。マッチラベルを手のひらの上にのる小さなメディアとしてとらえ、そこに描かれた柄や文字から、当時の世相を読み解くとともに、広告マッチからかつての千葉の町並みも探ります。


 

はじめに

 数十年前まで、マッチは私たちの身近な生活の中にありました。
 ストーブに火をつけるとき、ガス台に火をつけるとき、仏壇のお線香に火をつけるとき、花火で遊ぶとき、バースデーケーキのロウソクに火をつけるとき、そして、煙草に火をつけるとき。
 マッチ箱は、老若男女を問わず誰もが常に目にするものでした。
 ですから、マッチ箱に貼られた、マッチラベルの柄は非常に重要でした。マッチ会社はマッチを買ってもらえるように、素敵なラベルをデザインしました。広告マッチでは、宣伝する物の素晴らしさを訴える文字や絵が並びます。統制品だった時代は、政府の広報としても使われました。
 この展示では、かつては誰もが目にしたマッチのラベルを通して、明治時代から昭和 20 年頃までの世相を探ります。 

 

第1章 マッチラベルを集めた人たち

 今回紹介するマッチラベルは、当館所蔵「吉澤貞一マッチラベルコレクション」です。このコレクションは 70 万点を越える膨大なものですが、全て吉澤貞一氏が収集したものです。
 吉澤氏は明治 37 年(1904)に旧成東町(現:山武市)に生まれました。旧制成東中学校から慶應大学に進み、そこで、マッチラベルに出会い、 大学生時代からマッチラベルの収集をはじめました。氏が収集したマッチラベルは、日本国内だけでなく、世界 100 カ国を超える地域のものがあります。ほとんどは、世界中のマッチラベルコレクターとの交換によって集めたものです。

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御自慢のマッチラベルコレクションに囲まれる、吉澤貞一氏

第2章 マッチラベルことはじめ

 国産マッチは、明治 9 年(1876)に東京本所の「新燧社」ではじめて作られ、その後日本各地にマッチ会社が作られ、マッチ製造は、一大産業になっていきます。
 明治 11 年(1878)に当時の清(現:中華人民共和国)への輸出を皮切りに、世界各地にマッ チを輸出するようになり、日本はマッチ輸出大国となっていきます。そのため、輸出先にあわせた数多くのラベルが作られるようになりました。
 さらに、明治 30 年頃、タバコの販売促進用として、タバコの銘柄の入った広告マッチが配られるようになりました。これ以降、タバコだけでなく鉄道、旅館、百貨店、カフェ、遊園地、お菓子、 化粧品など様々な広告マッチが作られるようになり、広告マッチは生活の中に入り込んでいきます。

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新燧社のマッチラベル
(明治 10 年代後半)

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輸出用マッチラベル
(インド向け)

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広告マッチラベル
(銚子醤油株式会社)

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直木燐寸(奨拡社製)
象ベストと呼ばれ、人気を博した。

5

輸出用マッチラベル
(中華民国向け)

6

広告マッチラベル
(孔雀印平野水)

 

第3章 マッチラベルに描かれた生きもの

 マッチラベルの中には、生きものが描かれたものが数多くあります。
 ウマやウシ、ネコ、イヌ、ネズミなどの哺乳類、様々な種類のトリ、ヘビやトカゲ、カエルなどの爬虫類や両生類、チョウや甲虫などの昆虫、甲殻類、魚類、植物など多種多様です。
 描かれた生きものを丹念に見ると、その生きものと人々のかかわり方がわかります。同じ生きものでも、そのマッチが使われる国によって描かれ方が異なり、お国柄があらわれます。
 マッチの売れ行きには、ラベルに描かれた図柄が大きく影響したため、輸出する側は、輸出先の 希望に応じて動物の描き方を変えていたのです。
 このコーナーでは、マッチラベルに描かれた生きものを紹介するとともに、生物学的な視点も加えて人と生きものの関わりについて紹介します。

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キノコのマッチラベル
(旧東ドイツ製)

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ウズラのマッチラベル 輸出向け 
(帝国燐寸株式会社製)

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エビのマッチラベル 輸出向け 
(良燧社製)

 

第4章 マッチラベルから世相を読む

 「マッチはラベルで売る」という言葉があります。マッチラベルの図柄によって売れ行きが左右されたということをあらわしています。明治時代の半ば以降、印刷技術が発展し、色鮮やかな、様々な図柄のマッチラベルが販売されるようになっていきます。その中には、当時の世相を写し出しているものが多く含まれています。
 日清、日露戦争の戦勝に湧いた時期には、「万国一」「日本軍」「乃木大将」といったマッチラベル が多数作られました。
 広告マッチをみても、ガスの普及にあわせてガス会社が様々な広告を打っているように、人々の 生活の変化を知ることができます。さらに、太平洋戦争中は、一種のプロパガンダとして利用されました。

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地球一
(川崎勢盛社製造)

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日英同盟記念
(山田一手販売)

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日本海大海戦記念
(博燧社)

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健康の為に稲毛海岸へ
(海気館)

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ガスランプの広告マッチ

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結核予防デー
結核予防啓蒙のためのマッチラベル

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国婦燐寸
(大日本国防婦人会)

 

第5章 マッチラベルを通してみる盛り場

 夫のスーツのポケットから、スナックのマッチが出てきて、妻が激怒!するという話しは、昭和の4コマ漫画ですが、かつて、盛り場・夜の街とマッチは切っても切れない関係でした。
 喫煙率が高かった当時、煙草に火をつけるために使うマッチは、店の広告として重要な役割を担っていました。
 広告用のマッチが一般に使われようになった、大正時代後半、関東大震災から復興した東京の盛り場では、カフェーやダンスホールをはじめとした飲食店が数多く作られ、これらの、飲食店には必ず、広告マッチがあり、訪れた人たちは記念として持ち帰りました。

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銀座タイガー
広告マッチ

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カフェー 銀座会館
広告マッチ

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カフェー パウリスタ
広告マッチ

 

おわりに

  マッチラベルを、手のひらの上にのる小さなメディアとして捉え、そこから見える人々の生活とその移り変わりについて紹介してきました。
 マッチが身近な生活の中で欠かせないものであったがゆえ、文字としても残りにくい、いわば草 の根の生活をあらわしていると考えられます。
 今回展示したマッチラベルは全て、吉澤貞一さんの 70 万点を超えるコレクションからです。1個のマッチ箱は、何の変哲もないマッチ箱でしかありません。この展示でマッチ箱は、何十、何百、何千、何万と数が集まることで、人々の歴史を語り始めてくれました。聞く人によっては、違う話 しが聞こえてくるかもしれません。
 博物館は物を集め、整理・公開し、多くの方々に使っていただくための活動をしています。今回の展示を通して、博物館のコレクションの大切さを知っていただけたら幸いです。

 

関連行事

講座「メディアとしてのマッチラベル」

12月10日(日) 13時30分~14時30分

定員:100名(当日受付)、料金:無料(展示見学には入場料が必要です)

マッチラベルを通して近代日本の身近な生活について紹介します。

 

シンポジウム「いま、コレクションについて考える~人はなぜ集めるのか?~」

12月16日(土)  13時30分~15時30分(受付開始13時)

場所:講堂

定員:50名(当日受付)、料金:無料(展示見学には入場料が必要です)

詳細はこちら(県立中央図書館のHP)をご確認ください。

 

ミュージアムトーク

10月7日(土)、15日(日)、29日(日)、11月3日(金・祝)、19日(日)、12月23日(土)

11時〜、14時30分〜(所要時間約30分)

展示期間中の土曜、日曜に展示担当者による展示解説を行います。