平成30年度第5回中央博セミナー

平成30年度第5回中央博セミナーのご案内

日 時:平成31年2月13日(水)午後1時00分~
会 場:千葉県立中央博物館 本館1階 講堂(千葉市中央区青葉町955-2)
その他:当日受付、先着順、150名。入館料不要。

 

発表1

発表者:斉藤明子(自然誌・歴史研究部)

タイトル:中央博物館の昆虫コレクション —30年間で何を収集したか—

要旨:現在開催中の30周年記念展は、ちょうど定年を迎える私には振り返りの良い材料を与えてくれました。県費では最後となった1997年のロシアカムチャツカ・北千島への海外調査への参加は、きびしい旅だったこともあり、自分の中でとても印象深いものです。そして、最近では2012年から実施した清澄山系にある東大演習林での昆虫調査も、演習林に何度となく通い、採集した大量の昆虫の標本を作り、わからない昆虫をこれまでに培った人脈を使って同定依頼に出し、報告書にまとめ、成果として昨年末に実施した「房総丘陵はすごい」という展示の昆虫の部分を担当いたしました。それ以外にも科研費によるプロジェクトにも参加する機会をいただき、ベトナム、中国、台湾などへも調査に出掛けました。調査の場所はそれぞれ大きく異なりますが、どこでも昆虫を採集し、調べ、成果を報告し、標本を残していく、ことを中心にやってきました。
 また、昆虫に関することを子供たちへ直接伝えることとして、毎年標本作りの講座や観察会を行ってきました。自分自身、子供の頃に標本作りを教えてもらった経験が、今の道に進んだ大きなきっかけとなったこともあり、当館に勤務して29年間、毎年標本作りの講座を実施してきました。昆虫の標本作りをやる子供は減っている、と言われますが、講座の申し込みは定員20名を必ず超えるので、昆虫の標本作りに興味を持つ子供は常にある一定数いるようです。その子供達は中学生以上になると、残念ながら博物館からは遠ざかってしまうケースがほとんどですが、講座の受講生が高校生になってから博物館のボランティアに応募してくれたり、昆虫学を勉強したいとその方面の大学へ進んだ、といったことが、10年位前から聞かれるようになりました。もちろん、博物館の講座を受けたことは、その先の進路のきっかけだったに過ぎませんが、このきっかけ作りが博物館の大切な役割であり、学芸員の仕事はとにかく継続することが大切であると実感しているところです。
 本セミナーでは、標本にスポットを当て、現在どのような昆虫のコレクションが当館に蓄積されているのか、について紹介いたします。

 

発表2

発表者:新 和宏(分館海の博物館)

タイトル:活動実績 et cetera-“新たな学問形態の創出”と“長年、取り組んでいるジオ・ラーニングにおける一考察”

要旨:新が研究分担者として研究を展開している「総合資料学」と、日本ミュージアム・マネージメント学会(JMMA)が定義した「ミュージアム・マネージメント学」については、“新たな学問形態”として現時点での状況を共有します。「総合資料学」は、大学や博物館、学術研究機関等が有している資料を多様な形で分析・研究するための学問体系です。多様な「モノ」資料を時代・地域・分野等によって分類し、分野を超えた視点から統合的に分析することで高度な共同利用・共同研究へと結びつけることができ、かつ、それらの「モノ」資料を多角的・多面的に利活用することで、人文科学・自然科学・情報学等の分野を超えた新たな自然観、世界観、歴史観等の構築と学問領域の創成を目指すことができます。
 「ミュージアム・マネージメント学」は、「Mission Management」、「Collection Management」、「Communication Management」のミュージアムの三大機能を総合的視点から捉えた学問体系です。単純に日本語訳にすると「博物館経営学」ですが、単なる経営論の領域では無く、資料収集・保存・レスキュー・活用、調査・研究、展示・講座・観察会等、情報発信、地域貢献(連携)等のミュージアムの全領域を包含しており、かつ、その背景にはミッション、人事(館員構成、人材育成)、予算、そして利用者リテラシーに関する諸課題までも重要な柱として位置づけています。
 また、新の取り組んでいるジオ・ラーニングの一環として、昨今のフィールドワークの諸課題、そして、「塩原湖成層産出の第四紀化石」に関して一考します。

 

発表3

発表者:萩原恭一(館長)

タイトル:古墳研究と埴輪

要旨:私は古墳時代研究を専門とし、学生時代から今迄、埴輪を主たる研究素材に据えて来ました。昭和56(1981)年に埋蔵文化財の専門職員として千葉県に採用されて以来、数多くの遺跡の発掘調査、整理、報告書作成に携わってきましたが、その大半は古墳時代から平安時代にかけての集落遺跡でした。業務として古墳や埴輪の調査、整理に携われたのは、全体としてごくわずかな期間に過ぎません。そのような環境の中でも今迄一貫して埴輪を基軸に据えて古墳研究を続けて来られたのは、「埴輪研究会」の仲間達と一緒に、週末を利用した年数回の全国規模での資料調査を、30年近く続けて来たからでした。
 中央博物館に在籍した通算の3年間は、管理職として館のマネージメント業務に携わっておりましたので、残念ながら博物館での研究成果として報告できるものはありませんが、研究の概要と現状をお話ししたいと思います。
 古墳の主要素のひとつである埴輪の起源は、弥生時代後期の吉備地方の墳丘墓の墳頂面に立てられた特殊器台と特殊壺にまで遡ります。現在、古墳時代を研究する者の多くは、卑弥呼の墓と考えられる奈良県桜井市箸墓古墳の造営から古墳時代は始まる、と解釈しています。箸墓古墳は、きれいな定型化した前方後円形の巨大な墳丘を持ち、墳丘には多量の埴輪が立て並べられています。その後、6世紀末頃まで全国で築造が続く前方後円墳の主たる要素は、既に箸墓の段階で取り揃えられていたと言えます。
 勿論、古墳から切り離して埴輪のみを研究するのは本末転倒ですが、古墳を研究するための素材として、埴輪は実に多くの点で優れています。昭和53(1978)年に川西博幸氏が「円筒埴輪総論」を著して全国の円筒埴輪の系譜や編年を示して以後、埴輪の詳細編年研究は全国で一気に進み、現在、ある程度の大きさの埴輪の破片資料であれば、その古墳の築造年代を決める根拠資料として利用できるまでになっています。埴輪は墳丘に大量に立て並べられていたために、容易に破片資料を採取できますので、埴輪を持つ古墳については発掘調査を経なくても築造年代が特定できるのです。また、関東地方ではたくさんの埴輪生産遺跡が調査されており、工人集団の解明や、生産地と供給先の古墳との相関関係も明確になって来ています。さらに、古墳から出土する埴輪の生産地や窯の同定は、三辻利一氏が永年続けて来た螢光X線分析を用いた胎土分析データの蓄積とその研究成果により、考古学的観察結果とのクロスチェックが可能な段階にまで達しています。