明治11年(1878)、病気や学校に対する意見の相違などの理由でフォンタネージは帰国しますが、その後任の教師を不満として浅井と小山正太郎らその仲間は同校を退学。そして退学した同志11人で明治11年11月11日に「十一会」を結成しました。当時、来日したアメリカ人教育者フェノロサらによる国粋主義によって洋画排斥運動が高まるなかで洋画研究を進めます。この時代は、学校を離れた浅井が周囲の逆風と戦いながら写生旅行や教鞭をとったり、本を書いたりしながら自己を磨いた時代でした。
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