明治27年(1894)に日清戦争が勃発した際には、時事新報の画報隊として従軍し、戦場を題材とした臨場感溢れる作品を残しています。この時、速写としての水彩画というものを改めて自覚したようです。帰国後、明治26年にフランスから帰国していた黒田清輝の「外光派」に対して「脂派」と呼ばれ、対立的な立場に押し上げられ、明治29年に新設された東京美術学校で、黒田とともに教鞭をとることになります。明治美術学校は閉校されました。
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