千葉県立美術館 | ギャラリー | 洋画 | 浅井忠の肖像

7.京都時代

活動

ヨーロッパ留学中に知り合った中沢岩太の誘いを受け、帰国後の明治35年以降は新設の京都高等工芸学校教授(現、京都工芸繊維大学)の図案科教授として京都に住みます。
翌年には、聖護院洋画研究所(明治39年には関西美術院に発展)を開設して後進を指導するとともに、関西美術会を通じて京都の洋画界の中心的存在として活動し、その発展に大きく貢献しました。
また、日本画にも深い関心を示し、各地の名所を描き、本として発行しています。
更に、ヨーロッパ留学中に触れたアール・ヌ−ヴォ−や日本の伝統文様などを生かした、独自の図案を創作するほか、遊陶園、京漆園などの設立に参加し、工芸図案の革新にも力を注ぎました。
明治40年(1907)に京都にて急逝しました。

主な収蔵品

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