散歩コース詳細

ぶらり散歩コース

日本庭園

関宿城博物館天守閣に隣接する枯山水の日本庭園で、憩いの場として四季折々の花を楽しむことが出来ます。

日本庭園

 


 

関宿城博物館休憩所(売店)

関宿城博物館の休憩所です。4人がけのテーブルが12脚あり、疲れた体を休めることが出来ます。また売店もかねており、関宿城博物館のお土産や地元農家の朝採れ新鮮野菜などをお求め頂けます。

 


 

駐車場

無料で100台が駐車でき、大型バスの駐車場もあります。また、障害者用駐車場が博物館正面に2台分あります。(大型バスをご利用の際はご連絡いただけると幸いです。 )

駐車場

 


 

にこにこ水辺公園

関宿城博物館に隣接し、小さいお子さんも楽しめる遊具や広場があり、土・日や祝日にはたくさんの家族連れの方々が楽しんでいます。

にこにこ水辺公園

 


 

中之島公園

中之島公園
昭和初期の江戸川改修に伴い関宿水閘門脇に造られた公園です(国土交通省管理地)。江戸川の治水工事に関連した歴史遺産(関宿棒出しの石、大型バケット、トロッコのレール、鉄橋など)とともに、関東屈指のこぶしの古木があり、多くの人が訪れています。
※中之島公園案内図はこちらからどうぞ。

こぶしの木(中之島公園内)

こぶしの木(中之島公園内)
 中之島公園の樹齢100年といわれた大きなこぶしの木は、大変残念なことに、老齢化のため枯死してしまい、令和3年に撤去されました。しかし、その場所だけが寂しく映っていましたが、新たに五霞町が大こぶしの歴史を絶やさぬように江戸川河川事務所の許可を得て新たな苗木を植樹したそうです。この木の成長を末永く見守りたいですね。

 

利根川治水の碑

利根川治水の碑
 近代に入ってからの利根川改修は最大規模の土木工事で、工事に携わった人々不屈の努力と、沿岸住民によって成し遂げられました。
その功績を称え、後世に伝えるため、昭和2年(1927)当館からほど 近い中の島公園内にこの碑が建立されました。

関宿水閘門(せきやどすいこうもん)

関宿水閘門(せきやどすいこうもん)

明治43年の洪水を契機に改訂した利根川改修計画の一環として、江戸川においても全川にわたる高水工事が実施されることになりました。
関宿水閘門の建設は、江戸川流頭部における流量・水位調節を目的としたもので、江戸川改修工事の主要事業の一つです。工事はまず、新低水路を掘削した後、大正7年(1918)、低水路に仮締め切りを設け、水門と閘門の工事に着手しました。
水門はディーゼルエンジンによって昇降する8門のゲートを備え、1門幅25尺(7.6m)、高さ15尺(4.5m)で、利根川と江戸川の分派量を調節する役目をもつものです。閘門は船舶の航行を可能にするために水位を調節する役目をもち、合掌式の門扉4枚を備え、開閉は人力でした。
水閘門は昭和2年(1827)に竣工しました。、これによってそれまで江戸川流頭部の水量調節を果たしてきた関宿棒出しは撤去されました。

所在地: 茨城県猿島郡五霞町山王
問い合わせ: 電話0471-25-7311(国土交通省江戸川河川事務所)

 

 


 

関宿城本丸跡

 松平康元(徳川家康異父弟)が天正18年(1590)に2万石で入城以来、譜代大名が代々(23代)配置されました。寛文11年(1671)、12代久世広之(老中)の時、天守閣破損のため江戸城富士見櫓を模して御三階櫓を再建しています。明治初期に民間に払い下げになり、久世広周(老中)が蟄居生活を送った建物が実相寺に移築されています。

関宿城本丸跡

 


 

鍵の手十字路

鍵の手十字路
 城郭東側の搦手門から武家屋敷を東西に延びる小姓町通りと南側の大手門から三の丸に通じる桜町通りの交差点で、外的が直線的に攻めてくることを避けるため鍵の手状につくられた交差点です。

外堀・土塁跡

外堀・土塁跡
 大手門付近に残る外堀跡です。昭和61年~63年の発掘調査で城の外側をめぐる土塁の幅が8m程であったことが確認されています。

 

関宿関所跡石碑

関宿関所跡石碑
 江戸時代、江戸川と権現堂川の分流点に関所を設け通行人や船荷改めが行われました。寛永8年(1631)に関所の管理が関宿藩に委ねられ、幕末まで関宿藩士が派遣され在番し、江戸の治安を担うと共に、川関所として重要な機能を果たしました。

随庵堀と随庵碑

随庵堀と随庵碑
 船橋随庵は江戸時代末期の治水家で、関宿城下の治水や農政事業を積極的に進めた人物でした。関宿城下は土地が低く、内水のため稲作の被害が甚だしく農民達を悩ませていました。藩主であった久世広周が幕府の老中を務めていたことから幕府に用排水工事を申請し、随庵がこの工事にあたり総延長五里に及ぶ用排水路を開削しました。この用排水路は「関宿落とし」「随庵堀」と呼ばれ、現在も利用されています。その功績をたたえて石碑が建立されています。

 

昌福寺(しょうふくじ)

真言宗清滝山昌福寺の創建は天長5年(829)と伝えられています。もとは水海村(茨城県総和町)にありましたが、簗田氏が関宿城を築いたときに関宿に移されました。
江戸時代には寺領15万石、末寺17寺を有する名刹として繁栄し、明治には本堂などが旧関宿町の役場として利用されました。なお、住職の下河辺氏は鎌倉幕府御家人下河辺行平(下河辺荘の荘司)の子孫です。
 

所在地: 千葉県野田市関宿台町257
お問い合わせ先: 電話04-7196-0326

 


 

鈴木貫太郎(すずきかんたろう)記念館

鈴木貫太郎(すずきかんたろう)記念館

終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎(1867-1948)の軍服や日常 生活品などの遺品や肖像、御前会議の図などが展示されています。
鈴木貫太郎は関宿藩家臣鈴木由哲の長男として生まれました。2.26事件では瀕死の重傷を負いました。昭和20年4月に総理大臣 になり、ポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦の終結を実現させました。吉田茂総理大臣の提案で「鈴木貫太郎記念会」が組織されたこと をきっかけに記念館が建設され、昭和41年に開館しました。
 

所在地: 千葉県野田市関宿町1273
入館料: 無料(現在は休館中です。)
休館日: 月曜日、年末年始、
祝日の翌日(5月4日を除く)
問い合わせ: 電話04-7196-0102

 


 

延命子育て地蔵(光岳寺)

延命子育て地蔵(光岳寺)
 松平康元が於大の方を偲んで建立した子育て地蔵尊です。光岳寺を訪れるにあたり、最初に参詣者を迎えてくれます。

光岳寺(こうがくじ)

光岳寺(こうがくじ)
 初代藩主松平康元が、慶長7年(1602)にその母於大の方のために創建した寺院で、瓦には葵のご紋がうたわれています。
また、康元が於大の方を偲んで建立した子育て地蔵尊が、最初に参詣者を迎えてくれます。

 


 

水塚(みづか)水塚(みづか)
水塚とは、一般に洪水の際に避難するため、屋敷内にあらかじめ築き上げられた土盛りや、その上に設けられた建物を総称します。
水塚と同様の機能を持つ建造物は、木曽三川流域や淀川流域、信濃川流域などにも見られ、水屋(みずや)、水倉(みずくら)などの呼び方があります。日本の場合、大河川の中・下流域においてはほとんど水防の目的で設置されています。
いったん洪水が起こると、人々は長期にわたって水塚に避難しなければならないことが多く、そのため建物内には避難生活に必要な日用の生活用具や非常用の食糧などを収納していました。
関宿周辺の水塚の場合、土盛りは3~4m程度のものが多く、また建物は通常2階建てで、1階には米俵や味噌樽などの食糧、2階には布団、ちゃぶ台、衣類を入れた長持ちや行李(こうり)などの生活用具が置かれ、時には母屋の仏壇なども滑車を使って引き上げる工夫が施されました。

 


 

首塚

首塚(刑場跡)
 江戸時代の刑場跡で、供養塔が立っています。もともと刑場は利根川寄りにあり、首だけを埋めた所とする説もあります。

鬼門除け稲荷

鬼門除け稲荷(きもんよけいなり)
 関宿城の鬼門の方角(北東)にあたり、寛文9年(1669)に建立されたものと言われています。明治の廃城の頃に関宿城天守閣脇にあった稲荷を移築したものと思われます。

 

道の駅さかい

道の駅さかい
 境大橋のたもとにある「一般道のサービスエリア」で、 ドライブの疲れをいやすことができます。
 建物の外観は河岸の町をイメージした蔵造り風になっ ています。無料休憩所、トイレ、軽食喫茶コーナーが設 けられているほか、境町とその周辺の特産物の展示即 売も行われています。
 また、マルチビジョン・システムで近隣の観光情報を 得ることができます。
 

所在地: 茨城県猿島郡境町1341-1
駐車場: 大型車13台 小型車114台(身障者用2台)
問い合わせ: 電話0280-87-5011

 

境河岸

境河岸
 高瀬船「さかい丸」が運航しています。
水運の歴史に思いを馳せながら、利根川の風情を楽しんでみてはいかがでしょうか。
 

詳細は道の駅さかいにお問い合わせ下さい。

問い合わせ:TEL 0280-87-5011