収蔵資料

河川関係

利根運河改修ニ関スル陳情

利根運河改修ニ関スル陳情昭和十六年(1941) 当館蔵

利根運河は、創業以来明治二十九年の洪水や、昭和十年、十三年の洪水などにより度々被害を受けてきました。この陳情書は昭和十六年、政府に対して改修の必要性を訴えるために提出されたものです。

土木工要録

土木工要録明治十四年(1881)三月刊行 内務省土木局 当館蔵

江戸時代に各地で実施された土木治水工法を体系的に編纂(へんさん)した技術書で、版には立体的な表現技法が見られます。「天之部」「地之部」「人之部」と附録2巻の全5巻よりなります。

安政風聞集

安政風聞集江戸時代 当館蔵

安政年間は江戸幕府が鎖国から開国へと政策を大転換させましたが、他方洪水や地震、コレラの流行など数多くの災害が発生しました。
なかでも安政三年(1856)の洪水では利根川や渡良瀬川の各所で破堤し、数多くの人命が犠牲になりました。本資料にはその被害状況が克明に描かれています。

関宿棒出しの石

関宿棒出しの石この石は江戸川流頭部に設けられた関宿棒出しの護岸に用いられていたもので、縦45cm、横60cm程の大きさです。
昭和二年(1927)に関宿水閘門が設置されると、棒出しはその役目を終え、翌々年には撤去されました。
いくつかの石が水閘門近くに残されていたものを建設省(現国土交通省)から譲り受けました。
右から左へ関宿棒出之石と読めます。

関宿藩関係

甲冑

甲冑江戸時代 当館蔵

江戸時代、関宿藩士が所用していた甲冑です。

久世大和守他連署奉書

久世大和守他連署奉書江戸時代 当館保管

十三代将軍徳川家定の命で久世広周ら4人の老中が連名で出した奉書で、年始祝いの答礼を内容としています。
この老中奉書が出されたのは安政二年(1854)~安政四年(1856)の間と推定されます。

城写図のうち総州関宿

城写図のうち総州関宿江戸時代後半 当館蔵

二ノ丸西端に草木のようなものが描かれています。また、本城(本丸)東の門前及び発端曲輪の一部と天神曲輪の3カ所に朱塗りが施されています。この絵は十九代藩主久世広誉の時(在職1785~1817)以降に製作されたもので、端裏に「慶応丁卯三年吉日近江神崎吉田九三郎所蔵」の判が押されています。

書契

書契享保四年(1719) 当館保管

八代将軍吉宗の襲職祝賀と両国の友好を願う内容が書かれています。裏には、「朝鮮国禮曹参判金演奉書 日本国執政源公閣下」とあります。

河川交通の変遷

江戸名所図会

江戸名所図会江戸時代 長谷川雪旦画 当館蔵

江戸神田の町名主斉藤幸雄らが編集し、長谷川雪旦の画による江戸及びその近郊の地誌です。特に雪旦の絵は実地の写生にもとづくもので、景観や風俗が細かく描かれています。

東京両国通運会社川蒸気往復盛栄真景之図

東京両国通運会社川蒸気往復盛栄真景之図明治時代 当館蔵

明治時代にはいると西洋技術が導入され、各分野で近代化が図られました。利根川水運においても、明治十年に外輪蒸気船通運丸の第一号が登場しました。全長22mで、船体の両側面につけた水車を回転させて進みました。明治二十三年に利根運河が完成すると、銚子と東京の間を18時間で結びました。この資料では、両国渡船場での様子が描かれています。
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成田名所図会(成田参詣記)

成田名所図会(成田参詣記)安政五年(1858) 当館蔵

表紙の題名は「成田名所図会」となっていますが、扉と各頁の柱には「成田参詣記」となっています。江戸から成田山新勝寺までの各地の名所・旧跡の説明をしています。特に寺社については細かく記述されています。

利根川図志

利根川図志安政五年(1858) 赤松宗旦著 当館蔵

布川(茨城県利根町)の医師赤松宗旦が著した地誌で、利根川流域の寺社、旧跡、風物などを紹介しています。

相馬日記

相馬日記文政元年(1818) 当館蔵

小山田与清(高田与清)が文化十四年(1817)八月十七日に江戸を出発して、平林寺など武蔵野から金杉、菅生を経て水海道や平将門の遺跡、小林一茶と関係の深い守谷の西林寺などを訪ね、成田や千葉を経て帰郷するまでの10日間の遊歴の紀行文で、文政元年(1818)に出版されました。

その他

錦絵「相馬の古内裏」

錦絵「相馬の古内裏」江戸時代後期 歌川国芳画  当館蔵

山東京伝の読本「善知鳥安方忠義伝」の一場面。かつて将門が築いた相馬の御所の廃屋に将門の娘滝夜叉が妖術で見方を集めているところに、大宅太郎光圀が征伐にやってきた。後ろから覗き込む髑髏は将門の怨霊をイメージしているのであろう。

その他資料紹介(館報『世喜宿』より)