このあたりで、ちょっとひとやすみ!千葉県に、伝わる昔ばなしを読んでみよう。
むかし、水郷の扇島村(いまの佐原市)に”川太郎”というカッパがいたそうだ。頭の上にある皿とぱっちりした目はかわいかったが、体全体は緑色で、なんとなく生ぐさかったという。でも、まだそんなにたくさんの人が出会ったというわけではない。
カッパが好きだというキュウリのとれる時期になると、村人は毎年そのはじめてとれた作物に「カッパ”川太郎”さま」と書いて川に供えた。こうすれば、子どもたちがどんな水遊びをしても、川底に引きこまれないといわれていた。
ところで、このごろ川太郎にとって大へん気になることがあった。それは、この村の若者が、川太郎の川へ毎日やってきては、モグ(水草)を刈り、だまってもっていくことだった。
ある日、川太郎は若者にいった。
「おいおい。そこの若えの、毎日モグをとってどうするんだ?」
だしぬけに声をかけられた若者はびっくりしたが、やっと気をとりもどして答えた。
「やあ、だまってモグをとり川を荒らして、すまん。あれを陰干しにしておき、けがをしたときの薬にしようと思ってな。なにしろ、この村にはお医者様がひとりもいねえもんで。」
川太郎はじっと聞いて、大きくうなずくと、
「なるほど。このところおれの川が荒らされるもんだから、事としだいによっちゃおめえさんを川底へ引っぱりこもうと思っていたが。おめえさんは若えのになかなか感心だ。よーし、けがによくきく薬のつくりかたをとくべつに教えよう。でも、これはおめえさんだけに教えるんだからな。」
と、川太郎は、骨つぎ・うち身などにきく薬のつくりかたをていねいに教えたそうな。それは黄色のねり薬だった。
それから数年たって、江戸(いまの東京)の横綱の相撲とりが、足に大けがをした。江戸中のよいお医者様にみてもらってもなかなかなおらない。横綱は、次の大相撲をひかえて毎日いらいらしていた。そのやさき、「水郷の扇島にけがに大へんよくきくねり薬がある。行ってみるがいい。」と、すすめる人がいた。横綱は、さっそくものはためしと、かごにゆられてはるばる若者のところへきた。若者はこの川太郎のねり薬を使いはじめてから十三日目に十三枚目をはりかえると、けがはすっかりよくなっていた。横綱は、若者に心から礼をいい、大喜びで帰っていった。
そのことがあってからというもの、この若者とねり薬は、大へんな評判になり、いつしかこの薬は「十三枚」とよばれるようになった。やがてそれは若者のすむ土地の名前にもなって、たくさんの人びとに知られ、はんじょうしたということだ。