●はかせ 利根川の水運は、今からおよそ300年前から、鉄道や自動車が発達するまでつづいたんだ。
「高瀬船」というたくさんの荷物をつむ船が大きな帆をあげて、川口の銚子から小見川・佐原・神崎・滑川・木下)・関宿・流山などの港(河岸/かし)によりながら、江戸(東京)までかよっていたよ。
●じょしゅ わあ!すごい!!こんなにおおきな船がとね川に行き交っていたんですね。今でみたことないなあ。
●はかせ 高瀬船だけではなくて、いろいろなかたちや大きさの船もあったんだよ。
●じょしゅ 船ではどんなものを運んだのかな?
●はかせ 伝馬船や茶船とよばれる船は、荷物や人々を運んでいたよ。
ほかにも、サッパ(舟)は、米や炭、材木、しょう油、干物(ほしたイワシなど)を運んでいたよ。サッパ(舟)は全長約7m、いちどに米俵で20俵を運ぶことができたんだ。大きい農家では4〜5隻持っていたんだ。
●じょしゅ これはひとりじゃ運び出せないですね……米俵って重そうだけれど、何キロくらいあるのかな??
●はかせ 米俵一俵の重さはなんと、60キログラム!これをひとりで運べるるようになったらオトナだね!
●じょしゅ そうやって考えてみると、水運の発達で物の流れがよくなって、商工業や農業などの産業が発達したんですね!
●はかせ そう!そうすると人びともたくさん行き来して、文化も栄えることになる。日本ではじめて正確な日本地図をつくった伊能忠敬や、農村の指導にあたった大原幽学などすぐれた人びとは、こういったところから出てきたんだ。