第14回 江戸名所図会 日本橋
江戸名所図会は、江戸及びその近郊の景観・寺社・名所旧跡・風俗等を内容とする絵入り地誌で、全七巻二十冊からなる。編者は江戸神田の町名主斎藤幸雄・幸孝・幸成の父子三代、画は長谷川宗秀(雪旦)で、天保五年(1834)から同七年にかけて刊行された。江戸市中の他、北は大宮、南は金沢、東は船橋、西は日野まで広い範囲に及んでいるが、すべて実地調査に基づく記述であり、史料価値が極めて高いとされる。
さて、今回紹介するのは日本橋の賑わいを描いた場面である。ここは国道十五号(中央通り)の日本橋に架かる橋で、現在は首都高が空を塞いでいるが、五街道の玄関口として大消費地江戸を最も象徴する場であった。
絵を見ると橋の手前が日本橋室町、向こう側が日本橋一丁目に当たる。橋の上はあふれんばかりの人が歩いているが、よく見ると町人や旅人、馬上の侍、槍持ち、僧侶、駕篭かき等がきめ細かく描かれている。
川面にはそれを埋め尽くす程の舟が行き交っている。米俵を積んだ舟あり、酒樽を運ぶ舟もあるかと思えば、屋形船の姿も見え、交通渋滞さながらの様相である。橋の手前に魚市場があり、大量の魚が所狭しと並べられている。橋を渡りきると高札場が見えてくる。石垣で護岸された川岸には桟橋を備えた大きな蔵が建ち並ぶ。
長谷川宗秀は、江戸名所図会のすべての絵を現地の写生によって描いたとされる。特に日本橋の様子を描いた精巧なタッチは、「火事と喧嘩は江戸の華」と喩えられる如きの躍動感をダイレクトに伝えている。日本橋は時代劇ではすっかりお馴染みの風景だが、当時の賑わいは時代劇はおろか、今日の新宿や渋谷といった繁華街にもまさるものであったことがこの絵からわかる。
(学芸課 島田 洋 / 2002年)
無断転載禁止、お問い合わせは当博物館まで。