東京両国通運会社川蒸気往復盛栄真景之図

第15回 東京両国通運会社川蒸気往復盛栄真景之図

明治時代 当館蔵

東京両国通運会社川蒸気往復盛栄真景之図

江戸時代の利根川・江戸川水運の花形は大きな帆に風をはらませて進む高瀬船であった。時代は明治になり文明開化の世となり、西洋技術が導入された。明治五年(1872)には新橋~横浜間に我が国最初の鉄道が開通した。黒い煙をはきながら進む蒸気機関車を当時の人々は陸蒸気(おかじょうき)と呼び驚きの目を持って見た。

近代化の波は利根川・江戸川水運にも押し寄せた。明治十年に内国通運が外輪蒸気船「通運丸」を就航させた。煙突から煙をはき、船体の両側の水車を回転させて進む通運丸は川蒸気(かわじょうき)と呼ばれ、江戸川・利根川沿いの人々に文明開化の息吹を感じさせた。第一通運丸は石川島平野造船所で明治九年一月に起工し、十年二月に竣工した。全長約22m、二十馬力の汽缶を一基備えた総トン数約60トンの船であった。

内国通運の開業広告によれば、東京深川扇橋より出船し、行徳・松戸・野田・関宿・古河を経て下野国思川生井村まで往復するものであった。やがて路線も順次拡大していき霞ヶ浦・北浦などにも就航し貨客の輸送を行なった。明治二十三年に利根運河が開通すると東京~銚子間を十八時間で結んだ。

紹介する資料には、通運丸の始点になっていた東京両国の賑わいの様子が描かれている。通運丸や西洋風の建物、多くの人々が描かれており、新しい時代の息吹を見る者に感じさせてくれる。

(学芸課 額賀 栄司 / 2003年)

無断転載禁止、お問い合わせは当博物館まで。