関宿水閘門模型

第12回 関宿水閘門模型(せきやどすいこうもんもけい)

関宿水閘門模型(せきやどすいこうもんもけい)

明治四十三年(1910)の洪水は、明治期における最大規模のもので、関東の平野全域にわたる被害をひきおこした。これを契機として利根川改修計画は明治四十四年に改訂された。この計画により「江戸川改修事務所」が設置され、江戸川全川での大規模な工事が開始された。関宿水閘門の建設は、江戸川流頭部における流量・水位調節を目的としたもので、江戸川改修工事の主要事業の一つである。水閘門の工事は新低水路を掘削した後、大正七年(1918)低水路に仮締切を設け、水門と閘門の工事に着手した。水門はディーゼルエンジン駆動(設置当時は蒸気エンジン駆動)による八門のゲートを備えている。(幅8.54m、扉高4.7m)閘門は船舶の航行を可能にするため水位を調節する役目を持ち、合掌式の門扉4枚を備え(幅4.92m、扉高8.54m)開閉は人力であった。

関宿水閘門は竣工当時のままに現在も役目を果たしている。しかし閘門は水運の衰退と共にその役目を終えた。今は通過する船舶もなく扉が閉じることはないが、平成十三年(2001)の七月七日の「川の日」を記念して閘門の開閉が行われ、水運華やかなりし頃の様子をしのばせた。水閘門は訪れる人も少ないが、関宿城博物館から歩いていけるところであり、近くには利根川改修工事の竣工にあたって、関係者有志によって建てられた利根川治水大成碑がある。碑文には改修工事の概要が記されており、当時としては最大の土木工事であったことが窺われる。

(学芸課 額賀 栄司 / 2001年)

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