汽船並荷物及馬車賃銭表

第8回 汽船並荷物及馬車賃銭表

汽船並荷物及馬車賃銭表

明治時代の幕開け―「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」―日刊新聞の発行、新橋・横浜間の鉄道開通、ガス灯の普及、肉食の解禁など堰を切ったように西洋の文明が押し寄せてきた。

河川交通においても文明開化の影響をまともに受け、大きな変革を遂げた。これまでは風まかせ波まかせで往来する高瀬船が利根川舟運の主役を担っていたが、全天候型の蒸気船通運丸が明治十年に就航してからはその状況が一変した。さらに明治二十三年の利根運河開通により、これまでかなりの日数を要した東京・銚子間が18時間余りという当時としては革命的な速さで結ばれるようになった。

今回紹介する資料は明治二十四年に発行された通運丸と馬車の運賃表である。通運丸について見てみると、出航地は両国と蛎殻町(日本橋)になっている。両国を午後3時と7時に出る船は行徳から江戸川を上り関宿・境を経由して渡良瀬川の笹良橋に至るルートで、旅客運賃は行徳7銭、関宿26銭、笹良橋35銭などとなっている。

一方蛎殻町発の船は下利根川筋の佐原・銚子に至るルートと霞ヶ浦や北浦に至るルートがあり、取手41銭、銚子76銭などであった。また、20貫目(75キログラム)当たりの荷物運賃も示されているが、東京・笹良橋ルートでは上り(遡航)が下りよりも2倍近い額になっている。これは川を遡るのに相当の燃料を要するためである。東京・銚子ルートは上り下りの運賃の差が見られないが、これは片道で川の上り下りがあり、燃料消費の差が相殺されるためと考えられる。

(学芸課 島田 洋 / 1999年)

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