廻漕問屋開業広告

第1回 廻漕問屋開業広告

廻漕問屋開業広告

河川交通の発達により、大消費地江戸と直結していた野田では醤油製造が盛んになり、江戸川に面した野田の河岸は醤油をはじめとする物資の積み出しで大変な賑わいを見せていた。

野田下河岸(今上河岸)の枡田家は、上河岸の戸辺家とともに廻漕(回船)業を営む有力な河岸問屋であった。

本資料は、明治初期に枡田家が利根川沿いの三ツ堀河岸に支店を開業することを知らせた広告で、本・支店から主要河岸等までの距離が示されているほか、建ち並ぶ数多くの蔵や高く積み上げられた荷物が描かれ、当時の下河岸の繁栄を物語っている。また、川を行き交う蒸気船や郵便の旗から運輸の近代化の一端を垣間見ることができる。

明治四十三年、野田・柏間に軽便鉄道が開通したが、これを機に陸上交通網が急速に発達し、それとともに河川交通はしだいに衰退した。その結果、昭和初期に枡田家は河岸問屋としての使命を終えた。

現在の枡田家宅は明治四年に建築されたもので、帳場や船宿などの諸機能が兼ね備わり、往時を偲ばせる貴重な文化遺産である。

(学芸課 島田 洋 / 1996年)

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