勝田 かつた 出羽三山講(八千代市)

調査時期:2011年3月

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勝田出羽三山講では、3月の第二日曜日に円福寺で天道念仏を行います。色梵天を組んだ棚に不動明王をお祀りし、鉦や太鼓を叩きながら棚の周りをまわります。
その後、梵天を集落のはずれの梵天塚へ持って行きます。黒く塗った3本の竹串をカラスと呼びます。

梵天の作り方

藁ヅトに半紙を巻く
幣束。異なる色の色紙を重ねて作る
「松葉」あるいは「ヒラヒラ」
「カラス」
割り竹で棚を結う
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棚の5本の梵天に松葉・カラス・幣束を挿す
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本堂の外に白梵天を立てる

手順

  1. マダケの周りに藁を巻き、折り曲げて藁ヅトにする。切り口を下にし、半紙を巻く。
  2. 色梵天の幣束は赤・黄・青・緑・紫など5色の色紙のうち異なる色を2枚重ね、半分に折り、切れ込みを入れて作る。
    色の組み合わせに決まりはない。白梵天の幣束は白の半紙で作る。
  3. 三角と松葉はすべて白い半紙で作る。「カラス」は割り竹の上半分に墨を塗る。また小さな白い三角を戸数分用意しておく。
  4. 昔からの部材を組んで棚を作り、中心の穴に1本の梵天を挿し、4角の柱にも1本ずつ立てて割竹で結わえる。白梵天は本堂の外に立て、棚の中心の色梵天と紐で結ぶ。
  5. 棚の梵天の藁ヅト5つそれぞれに、松葉3本、カラス3本、色の幣束3本、三角3本を挿す。外の白梵天も同様だが、幣束は白半紙で作ったものを挿す。

現在の行事と梵天

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三山拝詞などを唱えながら棚を廻る
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梵天塚へ向かう
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戸数分の「三角」を立てる
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村境だった梵天塚も、今は前に団地が広がる

天道念仏は奥州参りをした講が3月14・15日に行っていた行事だが、今は第二日曜日に行っている。円福寺の本堂内に5本の色梵天を棚に組み、1本の白い梵天を本堂の外に立てて中央の色梵天と紐でつなぐ。棚に不動明王をおまつりし、お神酒や重ね餅を供え、講の男性が鉦と太鼓を叩き、三山拝詞などを唱えながら棚のまわりを廻る。昼食後、梵天を集落のはずれにある梵天塚へ持っていき、一番新しい記念碑の前に立てる。また家数分用意しておいた小さなサンカクを地面に立てる。奥州参りに行った人たちの集まりは、今は年1回の天道念仏だけだが、かつてはもっと頻繁に集まっていたとのことである。また平成6年までは念仏講のおばあさんたちも天道念仏に来て念仏を唱えたが、念仏講が解散した後は行っていない。

三山登拝の近況と梵天

「奥州参り」には25年ほど前と30年ほど前に行っているが、その後は行っていない。宿坊は不明(『八千代市史』によれば長慶坊)。もともと山へ行くときだけのつながりで、宿坊からの来訪や、正月に札を送ってくるようなことはなかったとのこと。 また、三山へ行く前に梵天を作ることはなく、宿坊から腰梵天を受けてくることもなかった。下山後に梵天塚へ記念の石を立てる。

行人の葬式と梵天

奥州参りをした人が亡くなると、奥州参りの白装束を棺に入れるが、特別に何かを作ることはない。

梵天や行事の変化

宮本袈裟雄の記録(「関東の出羽三山講」『日光山と関東の修験道』1979)には、三山登拝出立前に、行場にしめ縄を張り梵天を立てて行を行い、登拝中は毎朝家族が梵天に水を供えたこと、また登拝者は八日講を組織し、毎月八日に三山の掛け軸を懸けて飲食し、その宿は輪番で2軒ずつ務めたことなどが記されている。また『八千代市の歴史 資料編 民俗』(1993)によれば、ひととおりの葬儀の後、三山の同行が死者の隣の家に集まり、梵天を作って墓に立て、三山の祝詞をあげた、これをボンテンハギと言ったとある。これらはすべて、伝承としても聞くことができなかった。