中ノ原なかのはら 八日ようか講(一宮町)

調査時期:2010年12月/2011年2月、4月、5月

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1月と7月の年2回、3本の梵天を作ります。中心を色梵天に、両脇を白で作ります。垂れ紙が9枚、中段の半紙の切込みが9枚、頭の三角も9本です。

梵天の作り方

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「ビラビラ」と垂れ紙の型紙が見える
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9枚の色紙をまとめて切る
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3弁の結びを「神結び」という
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頭に垂れ紙を並べる
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垂れ紙の上に白紙をかぶせて
三角を挿す
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垂れ紙を、三角をつけた
割竹で止める
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最後に、
藁ヅトに支柱を挿す
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白梵天も同様に
作る
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中心が色、
両脇が白の3本で1組

手順

  1. 支柱にマダケ、白紙に西の内を使う。藁を折り曲げて藁ヅトを作る。
  2. 和紙に切れ込みを入れて9枚にした「ビラビラ」を藁ヅトの切り口が下になるように巻き、上下二か所を紐で結ぶ。このとき、3弁の花のような「神結び」という紐結びを作る。
  3. 型紙を用いて垂れ紙を作る。色梵天は赤2・青2・黄2・緑1・紫1・白1枚で作る。
  4. 垂れ紙を藁ヅトの頭から9枚下げる際には、頭の中心に三角の紙をつけた割竹を挿すことによって止める。このとき、9枚の花弁の花のように切った白紙を9枚の垂れ紙の上にかぶせ、その上から三角を挿す。中心に挿した三角の周囲にも8本(色梵天は9本)の三角を挿す。 支柱の中ほどにも、切れ込みを入れて9枚にした「ビラビラ」を巻き「神結び」を結ぶ。

現在の行事と梵天

かつては一宮全体でマチもハラも一緒の講だったが、昭和の初めころに中ノ原(十二区)だけが分かれた。中ノ原では20歳前後で伊勢参りに行って、その後伊勢講の集まりを持ち、40歳前後になると出羽三山に行って奥州講を作るという習慣だった。女性は子安講で安房の方で行き、次に大山、最後に善光寺をお参りするという習慣がある。

オウシュッコの集まり

八日講全体で集まるのは、かつては毎月だった。その後、正五九の8日と7月15日の年4回となり、今は年2回、1月8日と7月15日である。7月15日は三山の山開きの日。それぞれ梵天を3本(色1本・白2本)作り、三山の碑の前に立てて拝みをする。また一緒に山へ行った同年代の人たちで月1回、オウシュッコ(奥州講)として集会所に集まっている。

三山登拝の近況と梵天

宿坊は神林勝金。2年に1度、来訪がある。集会所の祭壇には三山の神札と幣束3本を祀っており、神林は来るたびに幣束を新しくしてくれる。三山は、ある程度同じ年代の人たちで話がまとまると行くもので、直近では5年前になる。三山登拝は一生に一度であり、一緒に行った人たちでオウシュッコを作り、毎月のように集まって親睦を深めている。今、活動中の会が3つある。また、行人全員の会を八日講という。

山へ行く前日に、1人1本ずつの白い梵天を先輩たちが作ってくれて三山碑の前に立てる。石碑は昭和7年に立てたものが1基あり、町から講が分かれたときに立てたものらしいという。梵天は山へ行く人の分身で、藁の部分は頭と同じなので、やたらと燃やしたり捨てたりすることはできない。前回は玉前神社のお焚きあげに持っていって処分した。

行人の葬式と梵天

行人の葬式には八日講の人が、中ノ原全56軒から1人ずつ出る。梵天を色1本、白2本と杖を作り、三山の碑の前に立てて拝みをし、色梵天と杖をお墓に持っていった。葬式を家で行わなくなり、カドオクリもなくなったため、2,3年前に梵天作りも行わないことになった。