出羽三山 八幡 やわた 敬愛 けいあい 講(市原市)

調査時期:2011年1月、5月

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八幡出羽三山講では、毎月、八日講の集まりがあります。梵天は1・5・9月の年3回作って供養塚に立てます。また三山に毎年のように行っており、山へ行く時にひとり1本の梵天を作ります。梵天は山へ行く人の身代りと言われ、帰ってくると自分の梵天を倒します。

梵天の作り方

ステンレスの型にあわせて線を引く
型に合わせて切った垂れ紙。3枚で1組
「花」
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紐結びは顔を かたど っている
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後ろに「 袈裟 けさ 」の紐結びをつける

手順

  1. 3本の梵天の中心を「親梵天」といい、両脇の「子梵天(こぼんてん)」より藁ヅトも垂れ紙もひと回り大きく作る。
  2. 藁ヅトは、切り口を下にして紙を巻く。
  3. 垂れ紙は奉書紙を3枚重ねて作る。親梵天の垂れ紙は奉書紙を半分に切り、3枚重ねて2つ折りにし、型にあわせて切り、ひとつ広げて作る。子梵天は奉書紙を4つに切り、同様に作る。
  4. 藁ヅトに垂れ紙を3組つけ、垂れ紙の上から紐結びをする。紐結びは人の顔を象っている。
  5. 叶・ 総角 あげまき ・あわじ結びをつなげた「袈裟」をつくり、紐結びの後ろ側に下げる。
  6. 頭にサカキ、三角1本、「花」2本を挿す。
  7. 支柱はシノダケの支柱を挿す。竹が貴重な地域なので、シノダケは何度も使いまわす。
  8. 支柱中ほどに火の親が作った三山のお札をつける。

現在の行事と梵天

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支柱につける 三山 さんざん の札は、火の親が作る
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行屋前の五色の旗の間に立て、
三山の札をつける
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供養塚に梵天を持っていき、
祈祷を行う
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火の親が火打石を打つ
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行屋の祭壇

行屋は飯香岡八幡宮の境内地の一隅、石尊様の隣にある。もともとは満徳寺の境内にあったが、昭和34年に現在地に移した。祭壇は3つに仕切られ、中央には「出羽大神 月山大神 湯殿山大神」の額を掲げ、神鏡や幣束を祀る。右壇には大日如来と不動明王を祀り、左壇は「祓殿」と「霊祀殿」とされ、物故行人の位牌などを祀っている。

毎月8日に八日講を行っており、八日講では行屋の前に黄・赤・白・緑・青の五色の旗を立てる。正五九(1・5・9月)には3本組の梵天を作り、行屋入り口や供養碑などのしめ縄を替える。1月の日程は特別で、12月27日に3本の梵天を作り、餅を搗いて重ね餅を作る。元旦に梵天と重ね餅3組を三山供養塚に持っていく。この餅は4日におろして講員の家数に切り、1月8日の八日講の行事に先だって、お札や暦とあわせて各戸に配る。お札や暦は8日に間に合うようにと宿坊(正伝坊)から送られてくる。

三山登拝の近況と梵天

八幡敬愛講はもともと観音町、濱本町、南町、新宿、本町の講だが、本町は人数が少なかったことなどから八日講に参加せず、三山登拝も別に行っている。宿坊は正伝坊。数年に一度、2月ころに来訪がある。三山には毎年7月20日ころに参拝している。戦後は女性もいっしょに登拝しているが、八日講は男性だけの会である。三山参拝の前には、昔は海で身を清めたが、現在は「 潮垢離 しおごり 」として神社で祈祷してもらう。参拝に行く人の人数分の梵天を作り、行屋の前に立てる。梵天は行く人の身代りで、帰ってくると、その日の夕方に、自分で自分の梵天を倒す。一度死んで生まれ変わるという意味がある。翌日の足洗いで供養塚に持っていき、まとめて立てておく。およそ一カ月そのままにしておき、9月8日に下げてお焚きあげをする。(竹は使いまわす)。供養塚は市立八幡幼稚園となっている場所にあったが、行屋の移転と同じころに飯香岡八幡宮の境内に移した。

行人の葬式と梵天

行人が亡くなると、3本の梵天を作る。山へ行くときや正五九の梵天と形は同じだが、サカキをシキミに替える。墓地へ持って行って立てる。