大森町 おおもりちょう 出羽三山講(千葉市)

調査時期:2010年12月/2011年2月

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大森町出羽三山講では、2月に神明神社境内の自治会館で天道念仏を行います。4本の色梵天を作り、3本を集落の入り口に、1本を川に立てます。また、8月のお盆過ぎには3本の色梵天を作り、2本を供養塚に、1本を川に立てます。

梵天の作り方

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藁ヅトを作る
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頭に挿す幣束、三角と支柱につける「カギ」
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垂れ紙を麻紐に通す
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サカキを挿す
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「カギ」をつける

手順

  1. 藁を結わえて折り返して作った藁ヅトは、切り口を下にして半紙を巻く。
  2. 赤・黄・緑・紫・ピンクの色紙を3分の1に切って切れ込みを入れ、垂れ紙にする。これに穴をあけておよそ20枚ずつ麻紐に通し、藁ヅトに2段に結びつける。
  3. 頭には幣束1本、山をずらした三角2本、サカキを挿す。
  4. 藁ヅトにマダケの支柱を挿す。支柱の中ほどに「カギ」と呼ぶ小さな御幣をつける。
  5. マダケの支柱を挿し、中ほどに小さな幣束とサカキを麻紐で縛りつける。
  6. 小幣を地区の軒数分、33本作る。小幣の幣束は色紙を2色重ねて作る。軸にするシノダケはハカマをすべて3㎝ほど残して縞々の段に作る。
  7. 木枠の中心と4つの角に色梵天を結わえて棚を作り、中心の梵天と角の梵天を紐で結ぶ。木枠の桟には小幣を挿す穴があらかじめ48あいているが、33本だけを挿す。

※梵天供養に招かれたときなどに作る正式な梵天は白い奉書紙で作った。

現在の行事と梵天

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供養塚。盆に立てた梵天が暮れまで残っていた
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大日様の厨子と三山の掛け軸を拝む
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マツズミ川に梵天を立てる

2月に天道念仏を行う。大森町は1組と2組に分かれており、かつては1組が2月15日、2組が3月15日に寺の太子堂で行っていたが、今は一緒に2月中旬の日曜日、神明神社境内の自治会館で行っている。「旧家」といわれる古くから続く30軒ほどの家だけで行っている行事で、16~7人が集まる。寺で行っていたころは、棚のようなものを作って境内に出し、子供たちがグルグル周ってお菓子をもらって帰るようなことをやっていた。現在は1年に2軒ずつが三山講の当番になり、大日如来の厨子と三山の掛け軸を持ち回りで管理している。色紙で作った梵天を、隣集落との境とマツズミ川あわせて4か所に立てる。魔よけの意味がある。色紙の垂れ紙は、梵天に飾る以上に多く作り、旧家に2枚ずつ配る。玄関の魔よけの飾りにする。また8月の盆の次の日曜には3本の色梵天を作り、供養塚に2本、マツズミ川に1本立てる。マツズミ川の梵天を立てる場所は、かつてはため池(オチ)になって、フナやコイが集まる特別な場所だった。

三山登拝の近況と梵天

三山には、以前は身上を譲られるような歳になると誰もが行ったもので、毎年のように、女性もいっしょに行っていたが、最近10年くらいは行っていない。宿坊は神林で、毎年廻ってきて役員の家で迎えていたが、2年ほど前から断り、お札だけを送ってもらうつきあいになっている。

三山へ行く前に梵天を作るようなことはなく、はじめて山へ行った人がいただいてくる「剣梵天」がある程度たまると供養塚に納め、記念の石を立てた。これを「梵天供養」といい、最後に行ったのは昭和61年である。それまで村はずれにあった供養塚が京成千原線の工事にかかったため神社の境内に移し、その記念の供養を兼ねて行った。梵天供養の梵天は白が3本。輿に大日如来をのせ、まわりに剣梵天を立てる。これは生きている人のものは白い布で、この日を待たずに死んだ人のものは黒い布で包む。まわりの地域に声をかけずに行う「朝飯供養」だった。逆に近隣の梵天供養に呼ばれると、白い梵天を1本作って持って行った。

行人の葬式と梵天

行人が亡くなったときは色梵天を4本作り墓に立てたが、今は作っていない。