中島なかじま敬愛講(木更津市)

調査時期:2008年1月/2009年8月

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正月七草の早朝に、若者が海に梵天を立てる

中島敬愛講では、毎月八日講の集まりがあります。1月の梵天立てと8月の土用行 どようぎょうで梵天を作ります。正月七草の早朝に行う梵天立てでは6地区の若者が競って海へ出、それぞれに、枝葉を残したマダケを支柱にした長い梵天を海中に立てます。支柱には若者のたすきと同じ布が結ばれます。8月の土用行では4本の梵天を作り、海難供養塔や水神様などに立てます。

梵天の作り方

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梵天立ての竹の伐り出しは若い衆の仕事
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紙細工は行人の仕事
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垂れ紙の型にあわせて線を引く
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鋏を入れる
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紐結び
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「小梵天」

手順

  1. 紙は「国旗」という半紙判の和紙を紙問屋から入手して使っている。
  2. 藁ヅトは切り口が下になるように和紙を巻き、さらに細く切れ込みを入れた「ヒラヒラ」を巻く。
  3. オタレは半紙を縦半分にし、2つ折りして型にあわせて切ったもの(半紙2枚重ねの状態で1枚ができあがる)を3枚ずつ3組、計9枚下げる。
  4. 上から半紙の「シャッポ」をかぶせ、麻紐を結ぶ。麻紐には飾り結びをする。
  5. 頭に三角3本、何もつけない割竹2本を挿す。
  6. マダケの支柱を挿し、支柱中ほどに「小梵天」を縛りつける。小梵天は半紙を横半分にし、それをタテ2つ折りにして作る(2枚重ねになる)。
  7. 1月の「梵天立て」で海に立てる梵天は、支柱として7~9メートルの長いマダケを用意し、枝葉を残したまま使う。また、若衆の襷と同じ布を結びつける。
    「梵天立て」では、行人の作った幣束を使って梵天製作にあたるのは若い衆(ワカイシュ)であり、海に立てる梵天のほか、モウソウチクを使った大梵天や各家に配る小梵天も作る。

現在の行事と梵天

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土用行どようぎょうで山王様に梵天を立てる

「月照院」と呼ばれる行屋に、寛文7年(1667)に鋳造された大日如来像が祀られている。
毎月8日に八日講の集まりがあるほか、1月に梵天立て、2月にウラマツリ(水神祭)、3月にヤマンデマチ(愛宕様の祭礼)、8月に土用行(施餓鬼とも)の行事がある。1月の梵天立ては、6地区の若い衆がそれぞれ海に長い梵天を立て、また大梵天(オオボンテン)を辻やヤドの前に立て、小梵天(コボンテン)を各家に配って祝儀を貰うという若い衆中心の行事である。行人は梵天につける幣束を作り、また若い衆が海に入っている間、海に向かって祈祷を行う。8月の土用行では4本の梵天を作り、海難供養塔、山王様の三山碑、水神様、小櫃川の昔の水門のところの4カ所に立てる。暮れには正月様や稲荷様の御幣を作り、住民に配布する。

三山登拝の近況と梵天

三山への登拝は希望者がまとまれば、数年に一度の割合で行く。登拝した行人は200名をこえるが、講の活動に参加しているのは年輩者20名ほど。宿坊は春長坊だったが、絶えてしまったため、現在は長伝坊(神林千祥・三山大愛協会とも)。毎年10月末に来訪があり、正月にはお札を送ってくる。

出発の数日前には、氏神の坂戸神社へお参りに行き、行宿でも祈祷した。また山へ登る日は、行人が行宿に詰めて拝む。山王様(日枝神社)に三山碑が4基あるが、昭和34年を最後に立てていない。

三山へ行く前に梵天を4本作る。前日夕方、ツカ(供養塚)に集まって梵天を3本立てて拝み、出お神酒(デオミキ)を回す。1本はツカの脇の公会堂にしまっておき、山から帰ってくると近くの松川へ立てた。このとき、前年の12月に立て、山へ行く前に下ろした古い梵天の頭も川へ持っていく。初山のボッケン(腰梵天)は、ずっと神棚にあげておく。

行人の葬式と梵天

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行人の墓に立つ3本の梵天。「ジャ」「ハタ」、暮石前の六角棒、「ベラベラ」は行人ではない人の葬式でも作る。

同行者が湯灌をし、行衣を着せる。梵天を3本作り、1本には上棟式に使う扇や、品物の入った箱をつける。梵天を持って葬列の先頭に立ち、墓所では墓石の背後に梵天を立て、「三山拝詞」や「般若心経」などを唱える。