南柏井 みなみかしわい 出羽三山講(千葉市)

調査時期:2011年3月

写真

南柏井出羽三山講では、3月の天道念仏で、5本の色梵天と33本の小幣で棚を作ります。翌日、色梵天は集落の入り口に立て、小幣は地区の各家に配ります。
ほかに白梵天を1本作り、花見川の岸に立てます。

梵天の作り方

色紙にはさみを入れる
小弊の軸にするシノダケ
色梵天5本と小幣33本で棚を作る

手順

  1. 藁ヅトを作り、切り口を下にして半紙を巻く。
  2. 赤・黄・緑・青・紫の5色の色紙を、1枚を半分に切り、また2つ折りにして幣束の形に作る。色梵天にはこれを25本挿す。
  3. 白梵天では同じく半紙を半分にして作った幣束を25本挿し、加えて通常の幣束より足を長く、細長く下がるように作った垂れ紙を3本挿す。
  4. 藁ヅトの上に三角を3本挿す。色梵天の場合も三角は白。
  5. マダケの支柱を挿し、中ほどに小さな幣束とサカキを麻紐で縛りつける。
  6. 小幣を地区の軒数分、33本作る。小幣の幣束は色紙を2色重ねて作る。軸にするシノダケはハカマをすべて3㎝ほど残して縞々の段に作る。
  7. 木枠の中心と4つの角に色梵天を結わえて棚を作り、中心の梵天と角の梵天を紐で結ぶ。木枠の桟には小幣を挿す穴があらかじめ48あいているが、33本だけを挿す。

現在の行事と梵天

重ね餅を33に切る(提供写真)
小幣と餅を配る(提供写真)
色梵天を集落の入り口に立てる(提供写真)
白梵天を花見川の岸に立てる

3月中旬の土日に天道念仏を行う。本来は3月14日と15日に行う行事だった。かつては14日に子供たちが太鼓や かね をたたいて村を回って賽銭をもらい、また念仏のおばあさんも集まったが、今は昭和58年に奥州参りをした人たちだけで行っている。14日に色紙の梵天を5本と小幣33本で棚を作り、大きな重ね餅を供える。また白の梵天1本を別に作り、これを14日の夕方、花見川の川岸に立てて拝み、また公民館に持って帰ってくる。夜はみなで酒を飲む。15日の夕方から梵天の棚に供えた重ね餅を切り、小幣といっしょに地区の33軒に配る。また5本の色梵天を、集落の入り口5カ所に立てる。白い梵天は再度花見川の岸に立て、この日は立てっぱなしにする。夜はまた公民館で酒を飲む。

三山登拝の近況と梵天

「奥州参り」はある程度同年代の人たちで話がまとまると行ったもので、山へ行くと天道念仏の行事を先代から引き継いだ。現在は昭和58年に登拝した人たちで行事を行っているが、その後の世代が奥州参りをしていない。先輩の誰かが先達として声をかけないと話がまとまらない。行事で集まる公民館は、泉蔵寺の廃寺跡。宿坊は三光院だが、近年、つきあいがなくなっている。

また、登拝の前に梵天を立てるようなことはなく、三山へ行くとその年の秋、大杉様の境内に記念の石を立て、その翌年春には「房州参り」に行った。昭和58年の場合は、三山へ行った15名に前回の参加者から2名を加えた17名で、一泊の行程で鹿野山神野寺、安房神社、清澄寺、誕生寺、一宮玉前神社、笠森観音(笠森寺)を参詣した。

行人の葬式と梵天

いっしょに山へ行った人が亡くなり、葬家からボンテンハギ(梵天を立てて死者を送ること)を頼まれると、葬式の翌日に梵天を作った。白い梵天5本で墓を囲み、小さな幣束も白でたくさん作って飾った。火葬になってから、ボンテンハギは行わなくなった。