上志津かみしづ八日講(佐倉市)

調査時期:2011年3月、5月

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上志津八日講では、1・5・9月の年3回、西福寺で講の集まりがあります。境内の梵天塚の石碑の周りに色梵天を5本立てて三山拝詞などを唱えます。
また白梵天1本を水神様に立てます。およそ10年に一度、同じ年代の人たちで出羽三山に登拝すると、一緒に行った仲間で講を作り、先代から行事を引き継ぎます。

梵天の作り方

マダケに藁を巻いて折り下げる
藁ヅトに半紙を巻く
垂れ紙を作る
三角の紙を挿す竹串を削る
垂れ紙を下げる

手順

  1. マダケを支柱とし、周りに藁を巻きつけ、折り曲げて藁ヅトにする。藁ヅトの切り口は下にする。
  2. 藁ヅトに半紙を巻き、上下2カ所を麻紐で縛る。
  3. 赤・黄・紫の3色の色紙を縦3分の1、横2分の1の6等分に切り、切れ込みを入れて3回折下げて垂れ紙を作る。
  4. 垂れ紙を8枚、藁ヅトの上の麻紐に挟みこんで下げる。藁ヅトの頭には3色の三角を各1枚、計3枚挿す。
  5. 支柱の中ほどには半紙を巻き、サカキの小枝を結ぶ。
  6. 白梵天1本は、色梵天よりひと回り大きく作る。三角も垂れ紙も白い半紙で作るが、垂れ紙の枚数は色梵天同様8枚である。

現在の行事と梵天

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死支度の白衣・笠・杖
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梵天塚の登拝記念碑のまわりに、5本の色梵天を立てる
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水神様に白い梵天を立てる
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三山拝詞を唱える

三山に行くと八日講のメンバーになる。講には一緒に行った仲間の会ができており、現在、平成元年会、十年会、二十年会がある。一番新しく山へ行った仲間が、先代から行事を引き継いで行うことになっている。かつては月1回だったが、今は正五九の都合のよい日に西福寺で行っている。色梵天5本を、西福寺境内の梵天塚に立つ記念碑を囲むように立て、白い梵天1本を水神様に立てる。水神様の場所は、昔は湧水が流れる川のほとりだった。これを「川セガキ」などと言ったというが、はっきりしない。

三山登拝の近況と梵天

「奥州参り」は男の死支度。宿坊であつらえる行衣、杖、菅笠を葬式の棺へ入れるので、一度は必ず行かなければいけないが、逆にいえば、ほとんどの人が一生に一度しか行かない。およそ10年に一度、そろそろという頃になると、村の先達(有力者)が適齢者に声をかけて人数をまとめている。かつては三山の帰りに佐渡へ渡るものとされ、三途の川を渡るような意味があった。畔田(佐倉市)では、佐渡への海上でこよりの袈裟を海に投げ入れたという。因みに女の死支度は秩父参りで、最後に長野の善光寺で紙の六文銭や足袋などが入った折鶴を求め、これを棺に入れる。宿坊は神林。来訪はないが、正月にお札などを送ってくる。

出発の朝に八幡様へお参りし、妙見様(石尊様とも呼ぶ。正式には天御中主神社)で安全祈願をする。先達が赤飯を炊いてくるが、三山登拝がかつて命がけの旅だったことの名残。出立前に梵天を立てることはない。登拝後およそ半年後に記念の石を立て、梵天を立ててお祝いする。

行人の葬式と梵天

かつては同行者が亡くなると墓のまわりに色梵天を4本立て、隣の家が赤飯を炊いて墓地で配った。葬儀を式場で行うようになり、このようなしきたりがなくなった。

梵天や行事の変化

かつては記念碑の前に立てた梵天を、その後村境や岐路に持って行った。道路の舗装により、今のような形になったのではないかとのこと。また厄落としの意味でみかんや餅を投げたことがあったというが、今は行っていない。