川原井かわはらい三山講(袖ヶ浦市)

調査時期:2011年2月、4月、10月

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川原井三山講では、毎月行屋堂で八日講を行っています。梵天を作るのは、現在では行人の葬式の時だけとなり、3本の梵天を割竹で結わえて立てます。
かつて土葬だった時には梵天で墓地を囲み、その本数は山へ行った回数などで決まりました。あわび結びの ひもは 、袈裟 けさをあらわします。

梵天の作り方

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垂れ紙の型紙
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「三角切紙」の見本
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割竹を組んで3本の梵天を結わえる
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三角とカラ棒を幣束の周りに挿す
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麻の紐結びは袈裟を表す
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完成した3本の梵天

手順

  1. 藁を折り曲げ、藁ヅトを作る。切り口が下になるようにマダケの支柱を挿す。
  2. 石州和紙を1本の梵天について1帖(20枚)使い、半分に切り、型にあわせて切れ込みを入れ、40枚の垂れ紙にして藁ヅトに下げる。
  3. 上から紙をかぶせ、「御幣」1本、サカキ、「三角切紙」3本、「カラ棒」3本を挿す。
  4. 麻ひもを「アワビ」(あわじ)と「石畳」(叶)に結んだ「袈裟」をかける。
  5. 墓地に立てるときに、3本の梵天を割竹で結わえる。

現在の行事と梵天

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八日講では囲炉裏いろりに火をおこす

川原井は砂子田、新田、表場、根澄山にわかれており、新田と表場はもともと講がひとつで光明寺境内の行屋堂(大日堂)に集まっているが、砂子田、根澄山にもそれぞれ行屋堂があり、講があった。新田・表場と砂子田は宿坊が同じなので、砂子田に行屋堂がなくなり人も少なくなってからは光明寺の八日講に参加し、三山の登拝も合同で行っている。根澄山は宿坊が違うので一緒に活動することはなかったが、現在ほとんど活動がない状況である。

新田・表場は毎月8日に欠かさず行屋堂で八日講を行っており、特に正月の「初講」には大勢が集まる。昨年までは2人ずつ当番で精進料理を重箱につめて来たが、会費制で料理を購入するように改めた。昔は八日講に行く日は朝から精進料理で、味噌汁に煮干しも使えなかった。今も拝みが終わり料理を広げるときは、大日様の扉を閉めることになっている。7月28日は「お塚刈り」で、供養塚の草刈りや掃除をする。

三山登拝の近況と梵天

三山へはおよそ1年おきに参拝している。長伝坊(三山大愛協会・神林千祥とも)が宿坊。宿坊からは4~5年に1回廻ってくる。正月に毎年お札などを送ってくるので、初講で配る。

3~40年前までは、登拝前にひとり1本ずつの梵天を作り、井戸で水垢離をとって安全を祈願し、帰ってくると川に流したが、今はやっていない。川原井全体の供養塚と部落ごとの供養塚があり、50年くらい前に川原井全体で、何十人分かの腰梵天を埋めて供養し石を立てる「梵天供養」を行い、万灯を作ったり、付き合いの部落が山車を引いてきたり、盛大におまつりをした。その後は砂子田、新田など一緒に山へ行く人たちだけで、ある程度腰梵天が集まると石を立てて納め、供養している。

行人の葬式と梵天

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葬式の梵天の立て方

行人が亡くなると葬式の日の朝から行衣を着て行屋へ集まり、3本の梵天を作る。土葬の時代には墓地のまわりを囲む梵天も作り、中心に立てる3本の梵天とあわせて7本(4+3)、9本(6+3)などの本数で立てた。本数の違いは、山へ行った回数などで決まった。

梵天や行事の変化

『平岡地区の民俗』(1991)によれば、月並の行のほか1月15日の寒行と8月24日の土用行があり、行屋の近くの井戸に梵天を1本立て、その井戸で水垢離をとってから行屋におこもりをし、一晩泊って行をしたという。