栗山くりやま出羽三山講(四街道市)

調査時期:2011年1月

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栗山出羽三山講では行人塚の集会所で、1月に冬の ぎょう、8月に夏のぎょう を行います。行人塚の前に、1本の梵天を中心として、その周囲に4本の梵天を立て、しめ縄で結んで祭壇を作り、三語拝辞や三山拝詞などを唱えます。

梵天の作り方

しめ縄を
わらヅトを作る
頭に1本、周囲に3本の幣束へいそくを挿す

幣束の軸には、シノダケを用いる
しめ縄を張る

手順

  1. 藁を結わえて折り返し、切り揃えて藁ヅトを作る。半紙を巻いて中ほどを麻紐で縛る。
  2. 半紙を折り返して作った幣束を、藁ヅトの頂点に1本、その周囲に3本、計4本挿す。
  3. 支柱には枝葉のついたマダケを用いる。先を切って藁ヅトの切り口を下にして挿す。
  4. 1本の梵天を中心に、その周囲に4本の梵天を立てて縄を張り、結界の形にする。
  5. 正面の2本の梵天に注連縄を張る。

現在の行事と梵天

1月と8月の最終日曜日に行を行っている。近年は梵天を作るのは8月だけになっていたが、本来は1月も作るものであり、昨年と今年は1月と8月に作った。記念碑の塚の前に5本の梵天で祭壇を作り、三山拝詞などを拝む。

記念碑と行人の墓がある場所を「行人塚」と呼んでおり、昭和51年、この一角に「栗山農村広場やすらぎの家」が建設された。それから行人の会合はここで行うようになったが、それ以前は蓮華寺で行っていた。

三山登拝の近況と梵天

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寛文4年(1664)の出羽三山碑

「三山参り」には、かつては20年に一度くらいの割合で、人がまとまると行っていた。平成になって頻繁になり、7年、14年、20年、23年に行っている。7年は25名で、皆初めての登拝だった。14年は7年に参加した人のうち11名がお礼参りとして行った。20年は25名で、うち初めての人が13人。3回すべてに参加している人もある。今年23年には9人が行った。宿坊は神林。特に定期的に廻ってくることはなく、正月に札を送ってくることもない。

登拝の前には香取神社で祈願をした。梵天は作らない。腰梵天を受けてきたこともない。帰ってきた翌年にカッサ(上総)参りに1泊で行き、笠森観音(笠森寺)、清澄寺、誕生寺、崖観音(大福寺)などを廻る。行人塚には寛文4年(1664)の出羽三山碑がある。近年も山へ行って来ると記念の石を立てるが、お礼参りでは建てない。

行人の葬式と梵天

むかしは行人の男性は行人塚に、秩父参りをした女性は蓮華寺に、またこどもは内野の墓地にと、家族でも3カ所の墓地に別々に埋葬されたが、火葬になってから、次第に家ごとに墓地をまとめるようになった。ただし昔から行人だからと特別な葬式のやりかたはなかった。