蔵持上くらもちかみ行堂(長南町ちょうなんまち

調査時期:2011年1月、4月、12月

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行屋の前に立つ梵天

1月に宿坊の檀那場廻りにあわせての祈祷、4月に「花見」、6月に「マンガ(馬鍬)洗い」、8月の奥州参り、12月の「霜月行」などの行事があり、行堂に集まります。12月の霜月行(しもつきぎょう)で1本の梵天を作り、その梵天を行事のたびに行屋の前に立てます。垂れ紙は108枚で、「三山百八社」に因みます。

梵天の作り方

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サカキを採る
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マダケに藁を巻く
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画仙紙10枚を重ねて垂れ紙を切る
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垂れ紙はおよそ10枚ずつ上をひねっておく
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藁ヅトの紐に垂れ紙を挟み、さらに紐をかける
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建前用の日の丸扇をつける

手順

  1. マダケに藁を巻きつけ、折り曲げてツトにする。藁の切り口は上になる。
  2. 画仙紙(半切サイズ35×136㎝)を10枚ずつ重ね、カッターで切込みを入れて垂れ紙を作る。画仙紙10枚で108枚のすべての垂れ紙ができるように、目分量で作る。垂れ紙の108枚は「三山百八社」に因むという。
  3. 垂れ紙は10枚ずつ上をひねってまとめておき、藁ヅトに紐で縛り付ける。
  4. 藁ヅトの上部に幣束を3本挿す。うち1本の紅白の幣束は建前道具のなかに入っているものを使う。
  5. 支柱の中ほどに、建前で使う日の丸扇と、扇とセットの針や櫛など女性の道具を下げる。

現在の行事と梵天

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蔵持の大火で燃えた仏像
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燃えた仏像の胎内にあった札
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祭壇の厨子内に保管されていた五色の幣束。現在、色紙は用いていない

行堂は全応寺の一隅にある。祭壇に祀られている仏像(御神体)は釈迦如来。かつて蔵持の大火で行堂が燃えたが、現在まで燃え残りの炭の形で伝えられている仏像があり、胎内に入っていた経木の札の墨書きから元禄12年(1699)造立と考えられる。近年は祭壇の扉はあけても、厨子の扉は開けたことがなかった。祭壇も、祝詞をあげ終わるとすぐに閉める。酒を飲むときに開けておいてはいけないことになっている。

行事は1月中旬の大進坊檀那場廻りにあわせての祈祷、4月に「花見」、6月に「マンガ(馬鍬)洗い」、7月に奥州参り打ち合わせ、8月「奥州参り」、9月末ころ「札貼り」(108枚の札を芝原町内の行堂の建物や石などに貼る)、12月の「霜月行」。それぞれ行堂に集まって祈祷と直会を行う。12月はじめの霜月行で1本の梵天を作り、翌年1年間の行事のたびに行屋の前に立てる。またこの日は餅をつき、昔は餅やみかんをこどもたちに配った。

三山登拝の近況と梵天

三山へは毎年参拝するので、多い人は毎年のように行く。女性も一緒に行っている。三山は五穀豊穣をもたらす百姓の神様であり、また、先祖の供養のために山へ行くと考えている。三山の登拝は、先祖の足跡を踏んで行くもの。赤ちゃんがうまれた家では1年くらい参拝を控えるが、亡くなった人がある家は、誘いあってきてくださいといわれる。宿坊は大進坊で、冬に毎年旦那場廻りに来る。

山へ行く前には、暮に作った梵天を行堂の前に立て、デオミキ(出お神酒)で無事を祈願して出発する。新行の腰梵天がある程度集まると石を立てて、腰梵天を納めた。昭和30年に梵天供養をしたときには、6メートルくらいの高さの万灯を田の中に作った。お酒を飲み放題で振る舞ったので、大勢の人が参拝に来た。

行人の葬式と梵天

行人葬を頼まれると、行人の仲間は行堂につめて袢纏、宝冠のいでたちで梵天を作り、行堂の墓地へ納骨に来る行列を待つ。行列のあとをついて行き、梵天を墓地に立て、三山の祝詞を拝んで別れのことばを拝む。その後忌中払いの酒席を持つ。葬式の梵天は12月に作るものと同じである。