寺崎てらさき三山講(睦沢町むつざわまち

調査時期:2011年1月

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寺崎三山講では、毎月、八日講の集まりがあります。12月に4本の梵天を作っておき、元旦に、3本を供養塚へ、1本を井戸の水神様へ立てます。
三角の紙は出羽三山、何もつけない割竹は三山へ登る杖をあらわしています。

梵天の作り方

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藁ヅトを作る
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実際の山の形に近づけるために三角の頭をずらす
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垂れ紙は半紙を半分に折って作る
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大小の垂れ紙
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何も挟まない割竹は、山へ登る杖を表す
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支柱に半紙を巻き、小さな垂れ紙を下げる
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梵天作成の日は、祭壇で祈祷を行う 

手順

  1. マダケに藁を巻き、折りあげて麻ひもで縛り、藁ヅトにする。切り口は上。
  2. 藁ヅトに半紙を巻き、麻ひもで縛る。
  3. 石州半紙を半分に折り、切れ込みを入れて3回折下げた垂れ紙を3枚、麻ひもに挟むように下げる。
  4. 藁ヅトの頭に、山をずらした三角を3本、何も挟まない割竹3本を挿す。三角の山をずらすのは、実際の山の形に近づけるためで、何も挟まない割竹は、三山へ登る杖をあらわす。
  5. 支柱の中ほどに半紙を巻き、小さな垂れ紙を1枚下げる。

現在の行事と梵天

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記念碑に3本、水神様に1本、元旦に立てる

毎月8日に八日講を行っている。12月8日に梵天を作り、元旦に供養塚の石の前に3本、井戸の水神様に1本を立てる。これは本来、1月8日に行うものだが、1月の八日講は宿坊の来訪にあわせて行うため、梵天立てだけを元旦に行うようになった。また、8月16日に風祭りの行事を行う。このときには梵天は作らないが、午前中に行人が拝んで、午後はおばあさんたちの念仏行事があった。今は念仏講がないので行人だけで形ばかりに行っている。

行屋は歓喜寺の敷地にあったが、昭和50年ころ、廃寺になった東福寺の敷地に移した。今は地域の「やすらぎの家」(公民館)の一室を行屋として使っており、祭壇には神鏡や金幣などを祀っている。歓喜寺にあった行屋は薄暗く、囲炉裏の火の明かりだけで行を行っていた。そこには大日様が祀られていたようだったが、たびたびの移転で失われたのではないかとのこと。

三山登拝の現状

寺崎は47戸あり、一度でも三山に行った行人は60人くらいになる。三山へは毎年山開きの7月1日にあわせて6月30日から7月1日の日程で行っており、帰りにサクランボ狩りも楽しんでくるのが近年の習慣になっている。参加者は女性が多い。宿坊は大進坊。毎年1月ごろに暦やお札を持って廻ってくる。

山へ行くときは前日の夕方に行屋へ集まり、拝んで、発ちお神酒(タチオミキ)をまわす。梵天は作らない。月山に登る日に留守番の奥さんたちでドウロクジン参りをする。また下山後、初山(初めて山へ行った)の人たちで、近隣の三山の石碑があるところに10カ所くらい、お礼参りに行く。初山では「腰ボッケン」などを受けてくるが、石を立てて納めるようなことはせず、亡くなるまで各人で持っている。

行人の葬式と梵天

行人が亡くなると、梵天を4本作る。行人ではない人の葬式は湯灌人(ユカンニン)が2人だが、行人の場合は「行人の湯灌人」がひとり加わり、行人との連絡係などを行う。腰ボッケンは魔よけの刃物のかわりに死者の胸にのせ、いっしょに納棺する。梵天は3本を歓喜寺の墓地の入り口にある三山の石に立て、1本を墓標の前に立てる。行人で「しのび言」などを詠む。