名古屋須賀神社祭礼
(助崎祇園)
成田市名古屋
開催:7月第四土曜日
疫病除けとともに子どもの無事な成長を祈願する祭礼です。利根川下流域や茨城県南部など、広域から多くの参詣者がありました。名古屋には千葉六党(りくとう)の一つであった大須賀(おおすが)氏の居城、助崎(すけざき)城址が今も残り、その落城の物語がおはまおりの祭礼とともに伝えられてきました。
「名古屋須賀神社祭礼(助崎祇園)」平成19年(2007)記録映像ダイジェスト(約11分) 映像提供:成田ケーブルテレビ株式会社 |
御仮屋で出御祭
- 7月19日の祭礼に先立つ15日に、神社前に御仮屋を建てて神輿を出すと、地域の人がキュウリを供えます。キュウリの輪切りが神社と大須賀氏の紋、九曜星(くようせい)に似ているからだそうです。神輿出御は夕方です。
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先頭は薙刀
- 圓通寺伝来の薙刀が先頭に立ちます。助崎城が豊臣秀吉の軍勢に攻められた際に姫が果敢に薙刀を振るい、ついに城を出ると圓通寺に匿われたと伝えられています。薙刀が来ないと神輿は動かないといわれてきました。
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水を浴びる
- 神輿の用材は椎に限られ、椎以外の材料を使うと負傷者が出るといわれました。さらしの襦袢を着た担ぎ手は沿道から盛んに水を浴びせられ、ずぶ濡れになります。
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昭和の荒神輿
- かつては今と比較にならないほど荒い担ぎ方で、道に投げつけたり生垣に突っ込んだりしたので、担ぎ棒が折れることも度々でした。他地域の若者たちに運び去られる騒ぎも起きました。
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尾羽根川でおはまおり
- 町中を練り歩いた神輿は、夜半に助崎城址を通って尾羽根川へ降ります。助崎城落城の際に姫が尾羽根(おばね)川を渡って逃げたことに由来し、かつては圓通寺の下まで川を遡ったそうです。
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