松澤熊野神社神幸祭
5.神幸祭の構造と組織、準備
(1)松澤熊野神社の氏子組織
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明治以降の松澤熊野神社の氏子は、前述のとおり近世村の松沢、諸徳持、堀之内、米込、入野、長部の6村でしたが、現在の旭市中和地区13区のうち、中13区(県営住宅)を除く12区が、これにあたる地域です。
松沢区(宮本)を除く11区から氏子総代(任期1年)が1名ずつ選出され、また旧6村から1名ずつ、氏子総代長1名と5名の責任役員(ともに任期3年)が選出されて氏子の代表となっています。また氏子総代長は慣例により、式年神幸祭の年は松沢区の左京(宮負本家)・右京(越川本家)が交互に当たることが、暗黙の了解事項です。神幸祭が当たらない年は2家に限りませんが、やはり松沢区から出ることが通例で、5名の責任役員は、松沢区を除く5村から1名ずつとなっています。 -
旧村名 現在の行政区 全戸数 日本人世帯 氏子世帯 備考 松沢 松沢区 70 63 49 宮本 諸徳持 1・2・11区 200 168 130 南堀之内 8区 89 72 64 長部 10区 38 38 30 諸徳持から分村 入野 3・4上・4下区 148 128 96 椿海の干拓後に成立 米込 5・6・7区 153 136 102 椿海の干拓後に成立
(2)神幸祭実行委員会
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平成11年の神幸祭までは神社役員が中心となって斎行していましたが、前回の平成23年の祭礼から実行委員会を設けるようになりました。供奉芸能のまとめ役である区長を加え、区との連携を図る事、行政からの支援を受けやすいことの、2つの理由によります。
今回は令和4年6月19日に第1回実行委員会が開催され、全5回開催されました。 - 実行委員会の構成員
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顧問 宮司1名・崇敬会長1名・前会長(右京)1名 会長 氏子総代長(左京)1名 委員 責任役員(中和地区)5名・氏子総代(中和地区)11名・松澤熊野神社参与1名・顧問2名 ・事務局長1名
松澤区長1名・区長代理2名・各区長(中和地区)11名・・・14名は第3回から参加
神幸世話人(松沢)5名・・・5名は第4回から参加 -
祭礼間近に開かれた第5回実行委員会 - なお、実行委員のなかでも松沢区長、区長代理、そして神幸世話人は、実際の祭礼準備や神幸で最前線に立つ実働部隊です。区長代理は通常は1名ですが、神幸祭の年に限っては2名選出されます。また松沢には松青会という30~40代の男性からなる会があり、区長、区長代理と神幸世話人の指示で仕事を進め、松青会を卒業した50~60代は松友会として、青松会を助けています。
(3)総務委員会
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実行委員会の主要メンバーからなる内部組織としての位置づけですが、以前の神社役員を中心とした実行組織が、ここに継承されています。計20回開催されました。
総務委員会の構成員は次のとおり
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- 宮司1名・前会長(右京)1名 氏子総代長(左京)1名・責任役員(中和地区)5名 松澤熊野神社参与1名・顧問2名 ・事務局長1名
- 松沢区長1名・区長代理2名・・・令和5年4月から区長代理を1名増員
- 神幸世話人(松沢)5名・・・令和5年7月から参加
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社務所で重ねられた総務委員会
(4)合同会議
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祭典の方向性を示す場として、市長、市議会議長や議員、行政(総務課長・商工観光課長・生涯学習課長・観光物産協会)を招き、また実行委員会のほか旧縁故者、沿道の区長、三川地区関係者など、神幸祭のすべての関係者に出席を要請して、干潟公民館を会場に2回開催しました。
- 第1回・・・令和4年7月24日(日)
- 第2回・・・令和5年5月14日(日)
当神幸祭は明治以降昭和30年まで、熊野神社側は中和村長、神幸祭を受け入れる三川側では三川村長が祭礼委員長となり、両村の全面的な支援のもと開催されていました。昭和30年の町村合併後も、干潟町長と飯岡町長が祭礼委員長として町が支援する形が続きました。しかし、平成17年に干潟町、三川町ともに旭市に吸収合併されると、従来のように行政からの全面的な支援を受けることが難しくなりました。合同会議においても、神幸祭の斎行に対する考え方の相違があらわになり、全体をひとつにまとめることが困難でした。そのため、9月に予定されていた第3回合同会議は中止され、同じ課題をもつ関係者ごとに最終確認の会議を開くこととして、第5回実行委員会と第2回沿道区長会が9月10日の同日に時間を分けて開催されました。
(5)沿道区、三川区等との打ち合わせ
- 平成23年の神幸祭が縮小開催となったため、沿道区、三川区には24年ぶりの協力要請となりました。そのため番所の設営に同意が得られ協力体制ができるまで、打ち合わせが重ねられることになりました。また三川区では、これまで三川地区実行委員会の中心となった我留前(小林)、大久保の両家が途絶えたこと、行政の支援が得にくい状況になったことなどによる苦労もありました。令和4年10月30日から3回の打合せ会をへて、飯岡地区出身の市議会議員である片桐文夫議員を会長、永井孝佳議員を副会長に、三川7区の役員からなる三川地区実行委員会が組織されました。また海上地区では、島田恒市議会議員が見広番所設営の調整役となりました。
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沿道区(海上地区)との打ち合わせ
三川区との打ち合わせ
(6)松沢区の準備
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祭礼準備の実働部隊は、区長1名、区長代理2名と神幸世話人5名、松青会(30~40代)、松友会(50~60代)です。
以上の実働部隊のメンバーは、8月以降、毎週末に集まって準備を進めました。
直前の主な作業は、以下のとおりでした。 9月23日(土)注連縄作り・境内整備など
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大鳥居とご神木の大杉の注連縄を新しく綯い、掛け変えました。これは神幸祭の年だけでなく、毎年の秋の大祭で行っていることです。青刈の藁は使わず、米をとったあとの藁を使っているとのことです。
駐車場の整地、境内の樹木剪定、草刈りなどを行い、番所の門扉の柱を立てました。
また、神幸祭で販売するお守りを作成しました。 -
神楽殿で注連縄作り
大注連縄を綯う
鳥居に掛けられた大注連縄 9月30日(土)竹切り、榊の準備、幟の柱立て
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山に大榊や幟柱の上に差す竹などを伐りに行きました。
幟立ては祭礼の朝10月1日の早朝に行うべき作業ですが、今回、他の準備との兼ね合いで当日朝になると神楽殿の下から柱を出せなくなってしまうため、30日(土)のうちに柱を立て、幟の旗のみ1日の朝6時から上げることにしました。
番所の門に門扉を設置。ほかに拝殿に紅白幕を張ったり、参道に雪洞を下げたりなどの作業を行いました。 -
幟の柱を立てる
番所の門を設置する