松澤熊野神社神幸祭
2.平成11年(1999)の神幸祭
前回の平成23年の神幸祭は、同年3月に発生した東日本大震災の影響で供奉芸能、番所設営、三川浜のお浜下りなどを中止したため、今回は24年ぶりの本格開催となりました。そのため関係者が規範として参考にしたのは、平成11年の祭礼でした。
干潟町歴史民俗研究会による『ひかたの歴史と民俗』3号の記録と氏子の方々の証言から、紹介します。
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(1)日程
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祭日は旧暦9月5日ですが、月遅れの10月5日に近い土日月3日間に御神幸を設定し、その2週間前に式年大祭が行われました。また御神幸の前日には前日祭が行われました。
供奉芸能は足揃に始まり、番所11ヶ所での披露、笠こわしと、観衆を前に演じる機会が13回ありました。最初の足揃では硬くぎこちなかった芸が、神幸で数を重ねるうちに磨かれて、最後の笠こわしでは、堂々としたすばらしい芸となって披露されたといわれています。 式年神幸大祭【9月19日(日)】
- 多数の来賓や関係者の参列のもと熊野大神に御神幸を報告し、五穀豊穣や豊漁を祈願しました。
芸能足揃【9月26日(日)】
- 供奉芸能が熊野神社参道で披露されました。松沢では参道の両側に桟敷を設け親戚などを招きました。
前日祭【10月1日(金)】
- 神輿を清める祭典ののち神輿を御手洗の井戸脇まで運び、井戸の水を汲んで清めました。
式年大神幸【10月2日(土)~4日(月)】
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2日の概要
- 熊野神社で4時20分から出御祭。
- 行列を整える「召立」が行われ、6時に出御。徒歩で志高まで渡御。
- 遠藤家での祭典の後、東庄町境まで進んで車載。
- 以降は車輛で移動し、各番所を通過しながら松ヶ谷の多田家まで渡御。
- 多田家車庫に一泊。
祭典:遠藤家御旅所祭(志高)、奉迎祭・大井戸祭(大友)、多田家駐輦祭(松ヶ谷)
供奉芸能:旧山田町、東庄町域の6番所で披露。
- 神輿渡御の一行は7時に松ヶ谷に集合。
- 三川熊野堆(大久保家氏神前)まで渡御し神輿を奉安。一泊する。
祭典:戸板祭(松ヶ谷大宮神社)、平山家御旅所祭(蛇園)。
供奉芸能:旧海上町、旧飯岡町域の5番所で披露された。
- 三川熊野堆に7時に集合し、奉迎祭。
- 海中渡御の準備(神輿の錺金具を外し、力綱を掛け変え、胴に晒布を巻く)。
- 召立が行われ、大久保家当主を先頭に熊野堆から三川浜まで徒歩にて渡御。
- 渡海祭、おはまおり(輿夫は浜区)。
- 海中を目那川河口近くまで移動し、浜へあがると、丸康材木店で曽根区に神輿を引き渡す。三川地区内を我留前家まで渡御し、更衣祭を行う。
- 神輿を車載し熊野堆へ移動。還御祭を行い、20時に三川出立。
- 還御途次の祭典は網戸、江ヶ崎、中琴田、琴田新町境で駐輦祭、新町で加瀬家・石島家奉迎祭、諸徳持で御旅所祭。
- 諸徳持から熊野神社までは徒歩。長岡・原宿区の鳴り物で囃しながら坂をあがった。熊野神社での還御祭は5日朝5時から行われた。
- ※神輿が宿泊した松ヶ谷の多田家と三川熊野堆では、神幸世話人6名のうち半数の3名が神輿の警固に残り(1泊目と2泊目で交代)、他の供奉者は帰宅した。
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米込の大名行列(足揃:松澤熊野神社)
大井戸祭へ向かう神輿(舁夫は長岡・原宿区)
三川浜に向かう神輿(舁夫は浜区)
海中に舁き入れられた神輿 -
2日 4時20分 松澤熊野神社 出御祭(祝詞奏上、玉串奉奠、ご神体の神輿への遷座) 5時 召立、出発 松沢開墾駐輦所 休憩 6時 宮前番所 玉串奉奠 7時 志高御休場 遠藤家氏神前神輿奉安 祭典(祝詞奏上、玉串奉奠)
小休憩(朝食)東和田番所 玉串奉奠 大久保(兼田堰駐輦所) 休憩 11時30分 大友番所 祭場 東大社宮司が祭主で式典(祝詞奏上、玉串奉奠) 御神井 長岡、原宿の青年が奉舁し、御神井に下る 奉迎祭祭場 直会、昼食 青馬番所 玉串奉奠 粟野番所 玉串奉奠 小南番所 玉串奉奠 松ヶ谷 多田家 駐輦祭、神輿奉安。 3日 7時 松ヶ谷番所 玉串奉奠 大宮大神 戸板祭(祝詞奏上、玉串奉奠) 岩井番所 玉串奉奠 見広番所 玉串奉奠 14時 蛇園 平山家 神輿奉安 七五三掛竹祭(祝詞奏上、玉串奉奠)
休憩蛇園番所 玉串奉奠 22時 三川番所 玉串奉奠 熊野堆(大久保家 ) 駐輦所に神輿奉安 4日 7時 大久保家氏神前祭場 奉迎祭、海中渡御準備
召立10時30分 三川浜 渡海祭 (四方祓、四方餅・福餅・福銭投げ、鏡割り )
お浜下り12時40分 上陸、村廻り 17時50分 小林我留前氏宅 神輿小破修理、更衣祭 19時40分 大久保家 還御祭 20時50分 網戸(網戸区協同館) 駐輦祭 22時 江ヶ崎(公民館) 駐輦祭 23時 中琴田(公民館) 駐輦祭 5日 0時 琴田新町境 祭典 2時30分 新町(加瀬家石島家地先) 琴田八幡神社宮司出迎え、奉迎祭 3時40分 諸徳持地先(農協) 祭典 5時 松澤熊野神社 長岡・原宿区の若衆に担がれて帰還
還御祭
笠こわし【10月10日(日)】
- 供奉芸能が再度、熊野神社で披露されました。旧縁故者や供奉者、長岡・原宿区の神輿警固者など、神幸祭で芸能を見ることができなかった方々が招かれ、桟敷の一番良い席で楽しみました。
(2)神輿の渡御
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神輿の舁き手を当地では「舁夫(よふ)」といいます。建前では、松沢を除く氏子地区が担ぐものとされ、旧中和村の4村に舁夫が割り振られましたが、年齢的に「若衆」を卒業した者が当てられて人数も限られるため、実質は長岡・原宿区の警固役が担ぎ手となりました。多くの行程に車輛を用いながらも、この年、氏子地区で神輿を担いで渡御した箇所は、出御から東庄境まで、大友の奉迎祭会場と大井戸までの往復、諸徳持からの還御、そして各番所の通過時でした。
また、沿道の地元の若衆に神輿が渡されたのは、蛇園と三川でした。蛇園では、村境まで若衆が迎えに出て、平山家祭場まで、そしてさらに平山家から蛇園番所前まで担ぎました。
三川熊野堆では奉迎祭が終わると、神輿の装飾金具をはずし、力綱を晒木綿で作った白い綱に掛け替え、さらに胴にも白布を巻きます。準備が整うと神輿は三川の浜区の若衆たちに担がれて三川浜に向かい、海への舁き入れも浜区が担当しました。そして海からあがると休憩場所の丸康材木店で曽根区に神輿が渡され、そこから更衣祭会場の我留前家までの行程は、曽根区が担当で神輿を担ぎました。
(3)番所の通行と芸能披露
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神幸の沿道各区に、神幸行列と供奉芸能を迎える番所が設けられました。平成11年は次の11か所でした。
2日開設・・・【旧山田町】宮前 【東庄町】東和田・大友・青馬・粟野・小南
3日開設・・・【旧海上町】松ケ谷・岩井・見広・蛇園 【旧飯岡町】三川
それぞれの番所に門と殿様のいる所(「殿中」「本陣」などという)が設営され、門には門番、殿中には使者受と殿様が配されます。また番所内の通路の両側には「桟敷」と呼ばれる観客席が設けられました。神幸行列の通過には、殿様に通行の許可を求める必要はなく、使者は「熊野大御神、海上郡三川浦へ御神幸につき、供奉一同罷り通る」と宣言し、使者受けを通じて殿様にお札を献上します。神輿は番所前に安置され、地元の方々の参拝を受けて次の番所へと進んでいきました。
松沢を除く氏子5区と新発田区からは、芸能が披露されました。「供奉芸能」と呼ばれます。米込区は「武士大名行列」、新発田区は「荷担ぎ(雲助)」と獅子舞、諸徳持・入野・南堀之内・長部の4区は下座(囃子)と手踊りを演じました。
供奉芸能団体は、番所内で芸能を披露し次の番所へ進むために、番所の殿様の許可が必要です。まず「使者付」という使者の付き人が先頭に立ち、開門を求めます。開門されると使者付の先導で使者は殿様の前まで進み、「使者受」に向かって通行と芸能披露の許可を求めます。そして、多くは子供が扮する殿による「よきに取りはからえ」の裁許によって入場が許され、ようやく一行の入場と芸能披露に進みます。
使者付と辻番(あるいは番役人)の口上、殿様の前に向かう使者一行の独特な足運び、使者と使者受けの口上と「男くらべ」とも呼ばれるにらみあいの所作、殿のかわいらしい裁許などが見どころです。なお、新発田区は松澤熊野神社の氏子ではありませんが、米込の大名行列には荷担ぎが必要であろうと新発田区から申し出を行い、大名行列の露払いとして「米込区」の高張提灯を掲げ、参加するようになったといわれています。荷担ぎは「雲助」ともいわれ、二棹の荷を担ぎ、頭(かしら)との滑稽な掛け合いや雲助唄を披露します。また膳や椀を利用して自作した獅子頭を被る「出鱈目の獅子」が、ひょっとこ、おかめ、旦那とともに、滑稽な芸を演じます。
続いて披露される米込区の大名行列は、子どもたちのお弓隊や鉄砲隊に続いて、先箱や毛槍、大鳥毛などの道具持ちが、「お練り」と呼ばれる独特な歩き方や、道具の投げ渡しなどの技を披露します。子ども殿様や家老に従う草履取りや長柄持ちも、道具を高く投げ上げて受け止めるなど、多彩な芸や独特な所作を披露します。そして大名行列が通過すると、その後に神幸行列が続きました。4地区の囃子と手踊りは神幸行列の巡行とは切り離され、各番所を大名行列と神幸行列が通過する時間の前後に振り分けられました。昭和62年(1987)に移動に車輛を使用するようになってからこの形になり、9月2日は旧山田町と東庄町域の6番所、3日は旧海上町と旧飯岡町域の5番所が終日、神幸行列と供奉芸能で賑わいました。