勝浦の秋祭り—遠見岬神社と八幡神社の祭礼—

1.地域の環境と祭礼の由緒

(1)勝浦と浜勝浦

 勝浦湾南端の八幡岬には、真里谷武田氏の築城とされ、その後勝浦正木氏の本拠地となった勝浦城跡があります。勝浦正木氏は水軍を擁して里見氏と北条氏との間で攻防を繰り返しましたが、天正18年(1590)に徳川家康が関東に入封すると、家康の家臣植村泰忠が配されました。

 泰忠は入部後、村酒(地酒)の売買を勝浦根小屋に限定し、また根小屋で市の開かれる日は、近郊のまつへ(松部)・くしはま(串浜)・川津・しんくわ(新官)・よしう(吉尾)での売買を禁じました。勝浦城下の根小屋に市を開設し保護育成を図ったことと併せて、当時、勝浦周辺の海付きの村々で自然発生的な市が開催されていたことがわかります。勝浦根小屋市の場所は、本行寺前から浜勝浦の久我家前あたりが想定されていますが、湊や勝浦城との位置関係から、現在の浜勝浦の虫浦トンネルの先(南側)とも考えられそうです。

 なお近世初期には、江戸の鮮魚消費や干鰯需要の増大を背景に関西漁民が房総に進出し、『関東鰯網来由記』によれば、元和年中(1615~24)に紀州加田浦の大甫七重郎が勝浦近在の川津村矢の浦で八手網漁を始めたのが、房総のイワシ漁の始まりだそうです。同資料によれば、その翌年には岩和田(御宿町)や岩船(いすみ市)でも関西漁民によるイワシ漁が開始され、およそこの頃、浜勝浦への漁民の出稼ぎや移住も始まったと考えられます。

 勝浦町と浜勝浦は、元は勝浦村一村でしたが、慶長6年(1601)の検地帳(久我家文書)は、「勝浦之郷」を「しゆく(宿)」と「はま(浜)」に分けて記載し、すでに町場と漁業集落が成立していたようです。そして元禄(1688~1704)頃までには「勝浦町」と「浜勝浦村」が正式に分立しました。寛政5年(1793)「上総国村高帳」では勝浦村の家数178、浜勝浦村の家数93。文久3年(1863)「総房村々高家数人数取調帳」(吉野家文書)では勝浦町の家数225、人数1,041。浜勝浦村の家数125、人数718。勝浦町は現在の勝浦市勝浦で、上本町、仲本町、下本町の「勝浦三町」からなる商業地域です。浜勝浦村は勝浦市浜勝浦であり、勝浦港を擁し、住民の多くが漁業関係者です。

 勝浦港は千葉県有数の良港です。天保7年(1836)「浜勝浦村書上帳」によれば、浜勝浦には浜勝浦湊と虫浦湊の2つの湊があり、浜勝浦湊は深さ5~6尋(約10メートル)で五大力船以下の船、虫浦湊は深さ8尋(約15メートル)で、大型の船が入湊しました。漁船だけでなく、物流を担う廻船の利用が多かったのでしょう。漁業では、かつてはイワシとサバの水揚げが多かったのですが、昭和30年(1955)頃より漁港施設の整備が進み、まず県外のカツオ一本釣り船団、次いでマグロ延縄船団や巻網船団を誘致したことから、カツオ、マグロが取扱魚種の中心となりました。現在、銚子港に次ぐ県第2位の水揚げがあり、特にカツオは全国有数の水揚げを誇ります。主に宮崎、高知、三重、静岡県など、他県所属の船が入港しています。

 一方、地元の漁業者は小型漁船で沿岸漁業に従事する者が多く、曳縄でカツオ・マグロ類、延縄でマカジキ・マグロ類、立縄でキンメダイ、刺し網でイセエビを獲るほか、八幡岬周辺の岩礁地域でアワビ、サザエを獲る海士漁が行われています。伝統的に海女はほとんどおらず、男性の海士が多い土地です。

(2)遠見岬神社と祭礼の由来伝承

 遠見岬神社は勝浦と浜勝浦の「お宮(鎮守社)」で、祭神は天冨命です。『古語拾遺』によると、天冨命は忌部氏の祖神、天太玉命の孫にあたり、神武天皇に命じられて、忌部の諸神の子孫を率いて橿原の宮殿を造営し、様々な神宝を作り、そして祭祀に使用する木綿(ゆう)や麻布を作るため、穀(かじ)や麻の栽培に適した肥沃な土地を求めてまず四国阿波を、次に房総の地を開拓しました。

 遠見岬神社の縁起は、その後日談を伝えます。天冨命は関東一円の開拓を進めたのち遠見岬(現在の八幡岬)の突端に居を構え、遠く御祖神の天太玉命を祀る安房神社を拝しつつ、当地の民に漁業や農業、建築などの技術を教えました。そして命に従っていた勝占忌部須須立命が、のちに冨貴島に社殿を建立し天冨命の御霊を開拓の祖神として祀ったのが遠見岬神社の創建であり、勝占忌部の系譜が現神職家まで続いているとのことです。

 時代は下り、江戸時代初期の慶長の津波で冨貴島の社殿が倒壊し、タカイソ(高磯・尊磯)に流れ着いたご神体を発見した住民が、「大明神・大明神」と連呼しながら名主の久我家まで走り、名主はご神体を受け取ると白布で巻き、麻で縛り、さぞ寒かろうと甘酒、焼き米をお供えしたと伝えられています。ご神体はいったん宮谷の地に祀られましたが、その後万治2年(1659)に現在地へ遷座しました。また平島の鳥居は、冨貴島に社殿があったときの一の鳥居と伝えられています。

 この故事により、今も祭礼では勝浦の岩瀬家から晒、浜勝浦の久我家からは前日に米、麻、半紙、蝋燭、お神酒が、当日の朝に赤飯(焼き米の代わり)と甘酒が奉献され、すべて神前に供えられています。また、集落を渡御した後に尊磯へ行き、神輿をもとの社殿があった岬の方角に向けて神事(祝詞奏上の後、お神酒を海に注ぐ)ののち、「デンミョリ、デンミョリ」の掛け声とともに神社まで駆け足で「御帳入り(還御)」します。

 天冨命は殖産興業の神であり、特に船の守り神である船霊様を授与する神社として知られています。男女の雛を麻で縛り、サイコロ2つ、五穀、ご神木の梛の葉を入れて作られています。また地元の勝浦漁船団は、安全祈願・豊漁祈願の初祈禱を1月3日に受けています。9月13日(旧暦の時代は8月13日)を例祭日としてきました。


遠見岬神社
遠見岬神社

(3)八幡神社と西宮神社

 八幡神社は勝浦城跡にあり、江戸時代まで正木・植村・大岡の各領主の崇敬が篤く、雨乞いや汐祭りは、全てこの八幡神社で行われてきたそうです。また浜勝浦の住民に漁の神様として信仰されてきたのは、遠見岬神社より、むしろ「八幡様」であるといわれます。

 9月15日(旧暦の時代は8月15日)が祭日ですが、1月15日も安全祈願・大漁祈願の祭礼日で、漁師は大漁旗を持って参拝に赴きます。この「初祈禱」には川津からも参拝者があるそうです。また正月の初めての漁や5月の海士漁の口明けには、必ず船で八幡様の近くまで行き、鳥居が見えるとそこで船を泊め、お神酒をあげて手を合わせるといいます。

 浜勝浦の南端、船曳場を見下ろす高台(虫浦トンネル入口)には西宮神社が祀られ、「えびすさん」と呼ばれています。もとは久我家の氏神で、兵庫県西宮市の本社から江戸時代に勧請されたといわれています。1月20日に二十日えびすの祭礼が行われ、船団の代表者が参列しています。また2月第三土曜日には西宮神社のご神体であるえびす像を漁港に設けた祭壇に祀り、汐祭りが行われます。

 八幡神社と西宮神社の祭祀には勝浦三町は関わらず、浜勝浦だけで祀る神社です。

八幡神社
八幡神社
西宮神社
西宮神社